孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

松田優作や萩原健一のような「撮影現場」でトラブルを起こすが 役者として「演じる」ことに「ある種の狂気」と「純粋さ」を持った俳優がいなくなった そういう人は「めんどくさい人」と言うのが今の「芸能界」だ

テレビが本当にくだらなくなった。くだない「バラエティー番組」を見て、tweetするだけの視聴者ばかりである。「テレビ離れ」と言われているが、ネットで話題になるのは、やはり「テレビネタ」が主である。「ドラマ」も、「演技」を完全になめ切った「ジャニタレ」や「大手芸能事務所」所属の演技の下手な「俳優もどき」「女優もどき」が、主役をして、鑑賞に耐えうる作品が皆無である。そもそも、テレビドラマの質が低下したのは、俳優の演技力の低下のみならず、「ドラマ」に情熱を傾けるプロデューサーや演出家の不在にもあるだろう。かつては、名プロデューサーや撮影現場で、徹底的に「俳優の演技」にダメだしをする本格的な演出家や映画監督が存在した。松田優作萩原健一といった「カリスマ的」な俳優が自己中心的な振る舞いをして、数多くの逸話を残したことは有名である。しかし、この2人が私淑する「日本を代表する映画監督」がいた。その名前は、工藤栄一という。工藤栄一監督は、「必殺シリーズ」を数多く手がけたが、元は「東映京都」の映画監督であった。工藤栄一監督は、一切の妥協をしないため、「上層部」から睨まれて、不遇をかこつことになった。1970年代には、ほとんど「映画」を撮影していない。しかし、工藤栄一監督は、「異能の人」であると同時に「どんな無名の役者さん」をも大事にする人情家でもあった。映画監督の大半は、通行人やチョイ役の演技など指導しない。工藤栄一監督は、スターと無名の役者を分け隔てすることなく、平等に扱った。松田優作などは、工藤栄一を親のように慕い、「探偵物語」の主役を「工藤ちゃん」としたほどである。松田優作は、「撮影現場」でトラブルを起こしたが、「自らの出演作」に真摯に向き合っていたからである。萩原健一にしても同じ事。松田優作が亡くなって30年が経過した時に、テレビ局は、ほとんど「松田優作の特集」をしなかった。それは、松田優作のような俳優が、今の芸能界にとって「めんどくさい人」でしかないからだ。「ジャニタレ」と「大手芸能事務所の勘違いした俳優もどき」にゴマをすって、「学芸会レベルのドラマ」しか作れないのが残念ながら今の芸能界だ。