孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「みどり荘事件」 お酒を飲んだら「記憶」が吹っ飛んでしまうことを 利用して大分県警は輿掛良一さんを「犯人にでっち上げた」 「日本の裁判」において 初めて「DNA鑑定」が実施された 「無罪」を勝ち取ったのは「後の飯塚事件の弁護団」の徳田靖之氏らの「尽力の賜物」である

「みどり荘事件」という冤罪事件があるが、一般的に知られていない。わが国で、初めて「DNA型鑑定」が適用された事件にも関わらず、科学鑑定がいかに杜撰であるかの過ちに対する「教訓」が全く生かされていない。「みどり荘事件」は、昭和56年6月27日に大分県芸術大学近くにあるアパート「みどり荘」で、同短期大学に通っていた女子短大生が、乱暴された上に殺害された。そして、同じ「みどり荘」の住人であった輿掛良一さんが強姦致死と殺人罪で逮捕される。外部からの「侵入が不可能な犯行」と見做した、大分県警は、同じ「みどり荘」の住人であった輿掛良一さんに目を付けた。輿掛良一さんは、勤務していた「ホテル」の従業員の女性と「みどり荘」で同棲をしていた。しかし、事件当日にその女性と些細な事で喧嘩をして、その女性は、実家に帰っていた。大分県警は、そうした事情から「輿掛良一さんが、むしゃくしゃして、酒を飲んで、隣室の女子短大生に劣情を持ち、犯行に及んだ」という陳腐な「犯行ストーリー」を作り、輿掛良一さんを逮捕して、「虚偽自白」に追い込んでいく。取り調べに当たった藤内喜雄警部補は、凄まじいまでの卑劣な手段を使い、輿掛良一さんを真犯人に仕立てていく。藤内喜雄は、輿掛良一さんに「女子短大生の部屋には、お前の指紋も、体毛もある。お前が行ったことは間違いない」と断定する。輿掛良一さんは、「酒を飲むと記憶を忘れてしまう」という体質の持ち主であった。そのため、藤内喜雄警部捕が言うように、「自分が、酒を飲んで、女子短大生の部屋に行き、強姦した」のではないかと疑心暗鬼に陥らせて、「虚偽の自白」に追い込み、「犯行」を認めさす。「みどり荘事件」の弁護団は、徳田靖之氏を中心に「刑事弁護」に情熱を傾ける「良心的な弁護士」で構成された。福岡弁護士会からも、岩田務弁護士が加わる。徳田靖之、岩田務弁護士といえば、「飯塚事件弁護団」である。弁護団の尽力によって、輿掛良一さんは、「無罪」を勝ち取る。おそらく「みどり荘事件」は、殺害された女子短大生の「男ともだち」の中に存在することは間違いなかった。どうやら警察組織は、「目星をつけた人間」を徹底的に「新犯人」と断定して、違法な捜査をする。「飯塚事件」の弁護団長の徳田靖之氏は、苦労をされた「高潔な人柄の持ち主」である。岩田務弁護士は、「みどり荘事件」では、藤内喜雄が主導となって「でっち上げた証拠」を「科学的」に立証する役割を担った。「みどり荘事件」は、「足利事件」「飯塚事件」以前にわが国で初めて「DNA型鑑定」が実施された事件でもある。岩田務、徳田靖之弁護士らが、「みどり荘事件」で輿掛良一さんの「無罪」に導いた「功労者」である。そうした事情を鑑みると、やはり「飯塚事件」も完全な「警察組織」のでっち上げた「冤罪事件」であることは間違いないだろう。