志穂美悦子が長渕剛との「夫婦喧嘩」の際に「回し蹴り」などをしたことを否定した。「自分は商品には手を出さない」と発言しているが、それはないと私は思う。長渕剛は、テレビ局のスタッフに暴力を振るうことで有名である。その長渕剛が、手を出さないはずがない。しかし、志穂美悦子は、千葉真一の弟子で、空手や少林寺拳法を習得して喧嘩が強い。その志穂美悦子に長渕剛が勝てる訳がない。湯川れい子は、頻繁に長渕剛と志穂美悦子の喧嘩の仲裁に入ったと証言している。おそらく長渕剛が、「細かいこと」を女みたいに騒ぎ立てるのだろう。志穂美悦子は、最近メディアに出始めたが、長い間「芸能界」から離れていた。志穂美悦子は、1970年代東映のアクション映画に数多く出演した。しかし東映のアクション映画が下火になって、活躍の場が奪われたことが志穂美悦子にとっては予期せぬアクシデントであった。私が一番印象に残っているのは、「ザ・ゴリラ7」と言うテレビ番組だ。主演は、千葉真一。志穂美悦子は、「甲賀流忍者」の末裔と言う役で出演していた。この「ザ・ゴリラ7」は、あまり知られていないが、面白すぎて、一部のマニアがいるほどのテレビドラマである。長渕剛は、デビュー当時は、「優男」であった。それが、いつの間にか「マッチョなイメージ」として認識されている。長渕剛自身も語っているが、「自分の細い体がコンプレックスであった」と。その「コンプレックス」を解消するために、長渕剛は「肉体改造」に精を出し始める。昭和63年のテレビドラマ「とんぼ」が、長渕剛にとって「人生の方向転換」を示すものであった。この作品によって長渕剛は、「イメージチェンジ」に成功する。「長渕キック」というものがある。あの蹴りは、はっきり言って「へなちょこ」で、打撃力が全くない。ただの弱い素人相手に、威嚇するだけのものに過ぎない。極真空手をかじってもいるが、長渕剛は、「ステゴロ」には弱い。「マッチョ」になっても「喧嘩が強くなるとは限らない」ということだ。長渕剛は、「カリスマ性」があったが、「役者」としては花を咲かせられなかった。その最大の原因は、「映画監督」の言う事を無視して、「独りよがり」の演技をしたからである。私が一番尊敬している工藤栄一監督と「トラブった」ことは業界人では語り草になっている。やはり、役者は謙虚であるべきだ。