孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

精神的「マッチョ」になれない男たち 私も含めて モテるために「細マッチョ」など「見てくれ」ばかり気にする男ばかり 戦争で「予科練」を経験した「戦中派」の男は物凄く格好良い!

筋肉を鍛える男があまりにも多い。ジムなどに行って、汗を流し、筋肉をつけて、自らの「筋肉美」に酔い痴れているだけである。そもそも「筋肉」を鍛える事だけが目的になっていて、主客転倒である。アスリートや「プロボクサー」は、自ずと、「筋肉」が付いてくるものである。「プロボクサー」の体の鍛え方が、私は好きだ。「自らの限界」に挑戦するスポーツであるボクシング。「減量」のつらさは、相当のものである。「減量」のため、「ロードワーク」を朝晩欠かすことはない。「プロボクサー」の体は、マッチョではないが、「鋼のような肉体」をしている。アスリートにしても、不必要な筋肉を付けることは、逆に損になる。イチローの体は、非常に細いが、バネがあり、しなやかである。「筋肉」を付ける最終目的は、女にモテることにあるのだろう。「細マッチョ」がタイプという女が非常に多い。「ラグビー」をしている「ゴリラ」見たいた男は、女から最も敬遠される。ラガーマンこそ、「均整の取れた肉体美」をしていると思うのだが。「細マッチョ」は、実際に喧嘩が弱い。実践の喧嘩で発揮するのは、やはり「ボクシング」「柔道」「ラグビー」である。筋肉を付けただけで、「強くなった」と思い込むのは、あまりにも短絡的、単細胞である。それよりも「精神的マッチョ」になることを心得るべきではないだろうか。私自身も「メンタル」が弱く、「精神的マッチョ」になれずに悩んでいる。その点、戦争体験をした世代の男たちは、非常に「精神的マッチョ」だ。特に「予科練」や「学徒出陣」を経験した「大正生まれの男」たちの生き方は凄く格好良い。敗戦直前に、20歳前後だった男たち。戦争に行く「赤紙」が届いた。しかし、戦争に行って死ぬのが怖くて、「何かと理由」を作って、戦争に行くことを逃れた者も少なからず存在した。ある作家が、同じ作家である吉行淳之介のことを痛烈に批判していたが。「予科練」経験者は、とりわけ虚無的でありながら戦後「美しい生き方」をした。そうした人間たちが亡くなって、戦争経験者も少なくなった。やはり死を覚悟で戦地に赴いた「大正生まれの世代」は、「最後の男」であると私は思う。