孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

男くさい顔をしているが「目」がやさしいことが「コンプレックス」の私 沖縄の「空手」の達人で人を殺したことがある人は「目」が鉛色だったと言う そこまでいかなくても「目力」がある男がいなくなった

私の「コンプレックス」は、男くさい顔をしていると言われるが、「目」がやさしいことだ。千葉真一が、「仁義なき戦い」でやくざの役を演じる際に一番困ったことは、「目」がやさしいことと語っていた。困った千葉真一は、「サングラス」をかけて、顔を黒くして役に臨んだ。千葉真一演じる「大友勝利」と言う役は、「仁義なき戦い」では主要な役柄で、準主役とも言えた。しかし、どう見ても、千葉真一は、やくざに見えなかった。千葉真一と言えば、日本体育大学出身で、オリンピックを目指したが挫折して役者の道に進んだ。その後、空手や少林寺拳法を得意で、ジャパンアクションクラブを主宰するほど人並外れて「運動神経が良い」。当然に喧嘩も強いだろう。そもそも70年代の東映やくざ映画の主役を演じた菅原文太高倉健は、「良い男」であるが、どう見ても「本職のやくざ」には見えない。やはり、恐ろしいのは、東映京都撮影所の「無名の脇役」あるいは「大部屋の役者さんたち」だ。彼らの「面相」は、非常に恐ろしい。東映やくざ映画を撮影している時に、本職のやくざたちが、見学に来たという。その時に「スカウト」された人が幾人もいたというエピソードはあまりにも有名だ。沖縄の「琉球空手」の達人で、人を殺したことがある人を取材した作家が、「鉛色の目」をしていたと語っている。この作家の「観察力」「洞察力」は、鋭いもので、真実を言い当てているだろう。「最近のボクシング」を見ていて感じるのは、顔が「今風」になってきたことと、「目」が昔の「プロボクサー」よりも軟になってきたことだ。「日本のプロボクシング界」そのものが低レベルになっていることは明らかで、その辺に原因があるように思う。つまり、「餓えた野獣」のごとく「闘争心」のあるボクサーが皆無になった。「かませ犬」的な外国人相手に、偉そうにしているだけ。私が、「目がやさし」のも、今一つ「闘争心」を貫徹出来ないことにあるように思う。ただ「男の顔」は履歴書と言うように、年齢と共に「顔」は変化していくものだ。沖縄の「空手」の達人で人を殺したことがある人までいかなくても、「目力」だけは強くなりたいものだ。