孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

生きるにはあまりにも目が優し過ぎる私 だから敗北を喫しているのだと思う しかし「薄汚い目」をした人間にはなりたくないと思う

私が、人生において敗北を喫しているのは「目が優し過ぎる」からだと思う。プロボクサーや格闘家として成功する人間を見極める時に判断するのは、やはり本人の目にあると、私は考えている。ボクシングや格闘家として、見所がある若者は、目が優しくない。やはり、生身の人間を殴ったり、蹴ったりするのだから、どこか残酷な所がなければならない。以前、俳優の千葉真一が、興味深い話をしていた。千葉真一と言えば、日本を代表する俳優でもあり、アクションスターでもある。千葉真一が、「仁義なき戦い」で大友勝利という破天荒なやくざを演じたことがある。この時に千葉真一が一番苦労したことは、「僕の目は優し過ぎるので、どう見ても、やくざに見えない」「だから、サングラスをかけたり、大袈裟なリアクションをしたり」大変苦労したと述懐していた。なるほど、千葉真一は、日本体育大学出身で、オリンピックまで目指したことがあるほどスポーツ万能で、おそらく喧嘩も強い。しかし、千葉真一の顔は、端正で、どう見ても、やくざ役にはふさわしくない。ただ、千葉真一のみならず、日本を代表する俳優全員に共通することでもある。大スターは、顔を良くと、どう見ても、「リアルなやくざ」とは縁遠いことだ。その点、悪役を演じる名も知られていない無名の役者さんたちは、非常に恐ろしい人相をしている。かつて、東映京都撮影所では、「本職のやくざ」が撮影におけるトラブル処理や演技指導、博打のシーンをリアルに再現するためのアドバイスなど、様々な役割を果たしていた。私自身、目が優し過ぎるため、人生において敗北を喫しているのだと考えている。育ちのせいなのだろう。お坊ちゃん気質が、顔に現れているのである。しかし、思想は、「お坊ちゃん」とは程遠い、「アナーキー」なものである。勝負において、「鬼」に徹することができない、詰めの甘さが、目の優しさに現れているのだと思う。しかし、「鬼」になれず、中途半端な人間であるが、「目」の汚い人間にはなりたくはないと思う。