孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「リターンマッチ」ボクシングに賭けた定時制高校の教師 脇浜義明という不思議な魅力を持った男 娘は元読売テレビの脇浜紀子さん こういう人間味のある先生があまりにも少なくなった

 

 脇浜義明というおよそ教師には見えない不思議な魅力を持った男がいる。テレビのドキュメンタリーでも放送されたり、後藤正治氏が書いた「リターンマッチ」は、第26回大宅壮一ノンフィクション賞を受賞するなどした。私は、子供の時に脇浜義明先生が出演しているテレビのドキュメンタリーを見て感動したことを今でも時々思い出すことがある。それほど、脇浜義明先生の個性が強烈であったのかもしれないが、私自身が酷い先生としか出会っていないため、自らの中で小さい頃に見た脇浜義明先生の姿がある種の「理想化された教師」となっているのかもしれない。脇浜義明先生は、到底先生に見えず、型破りで、破天荒で、ベタベタの関西弁をしゃべる「柄の悪いおっさん」にしか見えない。しかし、家が貧しく、苦労して、大学を卒業して、先生になって、組合活動にも力を入れる非常に真面目な先生なのである。「ボクシング」を通して、子供たちに関わる脇浜義明先生は、およそ聖人君子と呼べるものではない。「ボクシング部」を辞めていく子供がいたら、寂しがり、時には、子供たちより自分の方が「ボクシング」の勝ち負けに固執して、大人げない面を見せたりと。しかし、言えることは、子供たちに本気で「ボクシング」を強くなってもらいたいと、心から願っていることだ。脇浜義明先生が関わる子供たちは、勉強ができず、覇気もなく、謂わば「落ちこぼれ」である。脇浜義明先生は、そうした子供たちに何か一つでも真剣に取り組んで、自信を身につけさそうとする。それが、「ボクシング」というスポーツという所にドラマと感動があるように思えてならない。「ボクシング」と言っても、プロの完成されたものではなく、高校生の部活という「アマチュア」の競技の中でどれだけ、勝負の厳しさと面白さを学んでいくか。「リターンマッチ」の後藤正治氏の本は、綿密に取材している。脇浜義明先生の揺れ動く心情を緻密に描写していて、流石一流の「ノンフィクション作家」だと再認識させられる。「ボクシング」を通して、子供たちに体当たりしていく脇浜義明先生のような教師は、もはや皆無であると言っても過言ではない。人間臭く、泥臭く、味のある人間が、敬遠され始めた時代にこそ、脇浜義明先生のような存在が必要とされるのではないだろうか。