孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

冴えない中年男が実は、優れた洞察力を持っていた 私の高校時代の恩師 センター試験の願書を出し忘れて馘になったその後のはどうしているのか?

私が、時々思い出す人に、高校時代の日本史の教師がいる。私は、智辯和歌山高校という学校に通っていた。この学校、野球で有名であるが、進学校でもある。野球部は、高校で特別に採る仕組みになっていて、野球部と普通のクラスは別になっている。私は、この智辯学園和歌山中学を受験したことが人生につまずきの始まりであったと思っている。今は、知らないが、私が通っていた当時は、「受験少年院」と呼ばれるぐらい徹底した管理教育。体罰は、当たり前。私は、国語の教師に目をつけられて、とんでもない仕打ちを受けた。私に何の落ち度もないのに、言いがかりをつける、チンピラのような行為は今でも忘れることができない。その当時私は、育ちの良い世間知らずな「お坊ちゃん」のような感じで、そうした雰囲気をこの国語教師が気に食わなかったのではないだろうか。この国語教師は、ボクシングや空手をしたことがあると吹聴して、実際に、中学生の子供に、回し蹴りなどの体罰を行っていた。今だと問題になっているが、30年近く前だとそれが通用した。これが、公立学校であったら、おそらくただでは済まなかっただろう。この国語教師は、60歳ぐらいになって今でも勤務している。私は、このような犯罪行為に等しいことをした人間が何も処罰されず、のうのうと生きていることが許し難い。そんな学校であったが、1人だけ人間臭い教師がいた。それが、日本史を教えていた先生である。この先生は、他の教師と比較して、全くやる気がない。職員室では、スポーツ新聞を読み、テストなんかも適当。怒ることもなく、ただ嫌々教師をしているという感じがした。智辯和歌山では、高校野球の応援に無理やり駆り出させれる。智辯和歌山高校が他校との試合に負けた時に、この先生が、「勝負は人生にも通じる、今回の負けは仕方がない」というような発言をしたのだ。普段冴えない先生からは、想像もできない言葉である。今から考えれば、この先生には、鋭いものがあった。苦労人で人生の機微を知り尽くし、達観していたように思えてならない。智辯和歌山の教師は、校長を神のように崇めて、お仕えするといった人たちばかりであった。そうした雰囲気に、この先生は違和感と反発心を感じていたのだろう。その後、私が卒業した、次の年にセンター試験の願書を出し忘れて馘になったと風の噂で聞いた。私も、高校を卒業してから、一度たりとも母校へ入っていない。先生の消息も不明である。