孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「小さい三角形」を「ちっぽけな三角形」と呼んだ 老数学教師 謙虚で自分の事を一切語らなかった しかし「戦争」で少年兵 家が貧しく「旧制高校」から大学に進学できず こういう人は「人間として深みがある」が「生徒受け」しないものだ

私は中学の時に教わった数学の老教師を時々思い出すことがある。この老教師は、「公立中学」を定年退職して、非常勤講師で私たちの私立学校に教えに来ていた。関西の出身ではないようで、「なまり」のある話し方をしていた。「標準語」でもない、どこの生まれなのかを本人は一切話さなかった。この老教師は、「小さい三角形」のことを「ちっぽけな三角形」と呼んでいたことが私としては強烈に印象に残っている。とにかく、「数学の本質」を熟知されている方であった。私はもともと「算数」が好きであったが、ますます数学が好きになった。森毅というメディアに良く出ていた「京都大学の名誉教授」がかつていた。10年ほど前に不慮の事故で亡くなった。余りにも不幸な最期であったが。森毅は数多くの本を書いている。そのなかで、数学者として成功するのは、「数学オリンピック」に出て早くから才能を発揮するタイプではない。むしろ「鈍才」であっても、「粘り強く、一つの数学の問題を考え抜くタイプ」であると語っている。私が教わった「老数学教師」も同じようなことを何度も言っていた。私はある問題を解けなくて、次の授業の時にすんなりと解いた事があった。そのことに対して、「老数学教師」は私をベタ褒めした。小さい声で、私の事クラス全員に向かって「才能があるのは、こういう子だ」と言ってくれたのだ。私はこの言葉を今でも有り難く感じて、覚えている。その一方、私が再三「このブログ」で書いている。「暴行罪」に問えるような「体罰」を日常的に繰り返していた国語の教師H。Hは、クラス全員の前で、「私が書いた作文の些細な間違い」それも「誤字、脱字」をあげつらって、「こいつが書いた作文は文章になってないねん」と言い放ったのだ。この言葉を私は今でも忘れない。仮に「文章を書くのが苦手な子」がいたとする。その時「優れた国語教師」は、その子の「苦手な部分」に目を向けるのではなく、わずかながらでも「良い部分」を見つけて、伸ばしてやることである。この「体罰国語教師」は、学歴コンプレックスを持っていたのだろう。「エリート大学」に合格する子供たちに嫉妬していたと今になって分かってきた。それに比して「老数学教師」は、旧制高校の出身。旧制高校と言えば、戦時中や戦前は、「超エリート」だった。しかし、家が貧しく「大学」には進学できず。少年兵を経験したようだ。「戦争」で味わった「地獄」が「老数学教師」の人生に大きく影響を与えたことは間違いないだろう。しかし、この「老数学教師」のように「人間として深み」のある教師は生徒受けしない。子供のみならず、大人であっても「本物の人間」を見極めることができない者があまりにも多い気がしてならない。