孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

智辯和歌山中学・高校 今は違うという前提で 異常な校風 某国語教師は「体罰」を通り超した「暴行」を加えていた そのような学校に違和感を感じず「エリート」になった弁護士に「社会的弱者」の弁護ができるはずがない

私は、智辯和歌山中学・高校という学校に通っていた。

今は、そういう体罰がないという前提で書く。

あれば、たとえ、「私立学校」といえども、社会的問題になるだろう。

私が、通っていた当時、国語の某教師が、凄まじい暴力を振るっていた。

この国語教師、「俺は、ボクシングや空手をやっいた。」と吹聴し、気に食わないことがあると、暴力を振るっていた。

 

その教師の、回し蹴りは、はっきり言って、「空手」の技になっていなかった。

私も、通信教育に毛が生えた程度かもしれないが、高校時代に、この国語教師に反発を感じ、「空手道場」に通い、「日本空手協会」の正式な空手を学んだ。

 

この国語教師が、先日「朝日新聞」の和歌山版に、「共通テスト」に生徒を送り出すという記事で、名前が載って、私は、非常な衝撃を受けた。

まだ、辞めさせられずに、智辯和歌山高校で働いてることだ。

このような手合いが、何の処罰を受けることがない。

あまりにも、世の中は、不条理で、勧善懲悪は、「夢物語」であるかということを痛感させられた。

そして、そのような暴力教師であったこの男を美化する「朝日新聞」の記者の馬鹿さ加減にはつくづく辟易する。

私は、この国語教師に徹底的に目を付けられた。一体、何の恨みがあってのことか。

私は、この国語教師を、「ぶん殴ってやりたい」ぐらい未だに恨みを持っている。

 

智辯和歌山高校は、進学実績が落ちてきたが、私が通っている当時は、かなり進学実績が良かった。

医者、弁護士、という社会的な地位についている者が非常に多い。特に私の同級生に異常なまでに弁護士が多いのだ。彼らの事を中学生の時から知っているが、「人間的魅力」が全くないのである。

 

しかし、弁護士になった同級生たちは、やはり「企業法務」など主で、「刑事弁護」という最大の「権力への挑戦」に人生を賭ける者はいない。

 

何故ならば、某国語教師が体罰を振るっていることに何の違和感を感じることなく、「自分が超一流大学」に合格することしか眼中にないからだ。

 

「某国語教師の生徒への暴行を許さない」という正義感の欠片もない者は、必然と「保守的思考」を持つ。

 

私は、体罰を超えた暴行を生徒に加える国語教師のおかげで、「体制への反発意識」というものを養わせて戴いた。

 

体罰の域を超えた暴行を加える国語教師に違和感を持つことなく、「自分が超一流大学に合格する」事しか眼中にない者が、弁護士になる。

 

そのような弁護士が、刑事裁判において、警察に身柄を拘留されている「社会的弱者」の無念さなど想像だに出来ないと私は思えてならないのだ。