孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

分かりません 知りません 「管理教育」の異常な学校の授業で教師に当てられて取った行動 これからもそうしようと思う 

私の中学・高校時代。異常な管理教育の学校に通っていたためか、ある教師の授業では、異常な緊張感に包まれていた。おそらく、普通の公立学校では考えられないと思う。誰ひとり私語をすることなく、静まりかえった教室。その教師は、順番に生徒を当てていくので、生徒たちは、事前に予習を徹底的して準備に臨んだ。もし、当てられた生徒が返答に困ると、吊し上げて、生徒を威嚇した。そして、「次の人」と言い、また生徒が返答に困ると、「次の人、次の人」と言うのが口癖であった。私は、そうした教師のやり方が気に食わなくて、敢えて、予習もせずに、「分かりません。知りません。」と答えることにした。当然、その教師は、ブチ切れそうになっていたが、毎回「分かりません、知りません」と繰り返すので、もう私に対して何の反応も示さなくなった。それどころか、その教師は、鬼教師でありながら、どこか人間味のある人で、私に対して「親しみ」を持って接するようになった。異常な雰囲気の中で、「私の分かりません、知りません」が、ネタのようになったのである。私は、その教師は、誠実な方だったのだと思う。私が通っていた学校のほとんどの教師は、「管理教育」の名のもとに、自分の憂さを晴らすために、「生徒に八つ当たり」する手合いであった。何度も書くいたことがあるように、「国語の教師」は、「俺は、ボクシングと空手をやっていた」と豪語して、気に食わない生徒に対しては、暴力を振るっていた。その国語の教師に、私は徹底的に目を付けられた。私は、その教師の授業でも、分かりません、知りませんを通した。最初の頃は、「お前、なめとんのか」と脅すような態度を取った。しかし、もうあきらめて、私を授業中に当てることはなくなってしまった。先ほどの教師とは、全然違う。私は、社会の中でも「分かりません。知りません」ととぼけた返答をすることは必要だと思う。いちいち真面目に考えていたら、現代のような社会では生き残っていけない。とぼけた態度を取ることが、ある意味ベストだと私は考えている。