孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

スクールカーストを気にする女子高生

先日、朝日新聞の投書欄「声」で、スクールカーストについて意見を書いた女子高生がいた。文章を書く練習として、朝日新聞の投書を実践している学校が多い。そのためか、形式ばったもの、社説を真似たものばかりで、独創性がない。しかし、この女子高生の投書は、明らかに違った。自分の頭で考え、自分の言葉で、文章を書いている。スクールカーストとうい言葉が、人口に膾炙して、久しい。顔の良し悪しあるいは、笑いが取れるかといったことで、人をランク付ける。これは、いじめよりも、子供にとって、悲しく、苦しいものではないだろうか。いじめであれば、逃げることもできる。しかし、「スクールカースト」は、学校を卒業しても、ついて回る。何故ならば、現代社会そのものが、「スクールカースト」的なものに汚染されているからだ。ルッキズムとういう言葉が、象徴するように、「見た目が、全て」という価値を人々が共有している。この新聞の投書は、女子であったが、「スクールカースト」の一番の犠牲者は、男性の恋愛弱者だと思う。かつては、一流大学、一流企業というエリートコースに乗れば、必ず結婚できた。「もてない男」の著者である小谷野敦先生は、「俺は、東京大学を出ているのに、俺は、もてない、悔しい」と嘆いておられた。しかし、今は、絶対そういうことは、あり得ない。何故ならば、恋愛や結婚において、「顔」が、最優先事項になるからだ。これは、社会的階層など関係なく普遍的と言っても過言ではない。コミュニケーションスキル以前に、「顔」とう激しい選別から、脱落してしまう男が、どうしても出現してしまう。今時の女は、非常にえげつない。「ありえない」とういう言葉をよく耳にするが、不細工すぎて、恋愛圏外という意味を示す。生涯未婚率が、男と女でかなりの差がある。女の方は、襟好みして、50歳の時点で、結婚していないパターンが多い。一方、男の場合は、かなり深刻である。マッチングアプリでも、苦戦を強いられ、結婚をあきらめてしまっているのではないだろうか。親同士が、見合いするとなっては、世も末である。この新聞の女子高生は、20年後、結婚して、子供を産み、「スクールカースト」に悩んんだことなど、過去の思い出話になっているに違いない。