孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

必殺仕事人 何故、ジャニーズばかりキャスィングするのか? 殺し屋の凄みが全くない

今週、「必殺仕事人」のスペシャルが放送される。主役の東山紀之を中心に、松岡昌宏、知念侑李そして、ゲストの岸優太、西畑大吾といった、ジャニーズの面々ばかりである。私は、かつて、「虎の会」という必殺ファンクラブに入っていたぐらい、「必殺愛」が強い。藤田まこと氏が死去してから、「必殺シリーズ」を続けることは、評価できるが、内容が軽薄で、大人の鑑賞に耐えうる作品になっていない。その元凶は、すべて、キャスティングにあるように思えてならない。必殺の生みの親である、朝日放送のプロデューサーであった山内久司氏は、テレビドラマの神様と呼ばれたほど、数々の名作を生みだした。「必殺シリーズ」で、藤田まこと氏を主役に決めたのは、先見の明と言えるだろう。芸人であるので、舞台では、明るい顔をするが、楽屋では、深刻な表情をする、藤田まこと氏を見て、インスピレーションが、わいたという話はあまりにも有名だ。藤田まこと氏は、冴えない同心と凄腕の殺し屋という2つの顔を見事に演じきった。藤田まこと中村主水を見ていると、役柄が、俳優に近づいてき、完全に同化してしまっている。シナリオ、監督、そして、松竹京都映画のスッタフが、一体となって、「必殺シリーズ」を創りあげた。ただ残念なことは、始まりは、「必殺仕置人」であることを世間の人はあまり認知していない。ひかる一平、中条きよし、三田村邦彦が出演している、「必殺仕事人」が、主流となっている。もうこの頃は、「殺しのシーンを見せるだけで、面白くない」という、マニアが多い。「必殺仕置人」は凄惨で救いようがない話が多いが、問題意識を持って制作されている。弱い者が、社会から踏みにじられ、その恨みを晴らすというのは、ラディカルで、反社会的であった。作り手も、視聴者も、現実の社会では、弱い者が泣き、強い者が笑うことは動かし難いが、ドラマの中で、逆転劇が起こることに、夢を見たのではないだろうか。脚本の野上龍雄安倍徹郎村尾昭。監督の工藤栄一三隅研次、蔵原惟惟。日本映画を代表する人たちであるが。共通するのは、ドラマ作りに人生を賭けていたことだ。一切の妥協を許さず、「必殺」に情熱を傾けた。山内久司プロデューサーは、常々「ジャニー喜多川さんにごまをすりたくない」と仰られていた。つまり、「必殺の主役に、ジャニーズ事務所の芸能人を起用したくない」という信念を持たれいたのである。今年で、「必殺シリーズ」50周年である。「ジャニーズばかりの必殺」は、あまりにも不本意だ。