孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

甲子園 常連校 智辯学園和歌山の母体となる辯天宗と笹川良一の深い関係 そして異常な校風

甲子園常連校の智辯和歌山高校が今年も出場する。私にとっては、少しもうれしくない。何故ならば、この学校の出身で、とんでもない嫌な思いをしたからだ。現在は、どうか分からない。しかし、私が在学中の智辯学園和歌山高校は、明らかに異常な校風であった。まず、体罰は、当たり前。ちなみに、野球部は、高校で特別枠で採る。私は、中等部に、1994年に入学して、2000年に卒業した。その6年間の体験は、私の中の暗黒史でもあり、人格形成に大きく影響した。首都圏の進学校、所謂、開成、麻布、筑波大付属などと違って、田舎の学校で、少しでも、名の知れた進学校として知れ渡るために、学校の教育が徹底した管理教育であった。教師の体罰が横行していた。ある国語の教師は、「自分は、空手やボクシングの経験者である」と豪語して、気に食わないことがあると、中学生に向かって、回し蹴りをしていた。こんなことが許されていたのは、今となっては信じ難い。私もその教師から徹底的に目の敵にされた。何の落ち度もないのに。教師たちは、学校を首都圏の進学校と比肩する学校にするため発破をかけられ、そのストレスが弱い生徒に向けられたのだろう。「弱い者いじめ」が嫌いになったのは、この学校での体験があるからだと思っている。私立の学校での「体罰」は、公立学校と違い無法地帯となっていた。現代は、かなり改善してきたが、それでも、ニュースなどで時々耳にすることがある。智辯学園和歌山の一日は、般若心経を唱えることから始まる。何故なら、辯天宗であるからだ。辯天宗は、昭和9年奈良県宇智群野原村の十輪寺の住職であった大森智祥の妻であった大森智辯が天啓を受けたことから始まったという。この「辯天宗」に縁の深い人物に、笹川良一がいる。笹川良一は、「辯天宗」の信徒総代を務めたこともある。大阪茨木にある本部の慰霊塔の柱には、笹川良一の「人類の幸福は、心の掃除から」「世界平和は、茨木の慰霊塔より」との言葉が書かれている。中学生に言いがかりをつけて、体罰をする教師が数多くいた学校が、罰せられることなく、世間から評価されている。勧善懲悪など所詮は、「夢物語」だと思えてならない。