孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

智辯和歌山中学・高校  暴力教師に「ボコボコ」にされても 顔色一つ変えなかった男 「図太い」のか? 「感じない」のか? 私もこの男のような「メンタル」を持ちたい

私は、智辯和歌山中学・高校に通っていた。私がこの中学に入学したのが、1994年。その当時、この学校は、「異常な管理教育」のもと、徹底的な「教師の体罰」がなされていた。東京の「一流進学校」である麻布、開成、武蔵という学校や、関西の灘と違って、新設校でもあり、それらの学校に追いつくために、学校を挙げて、「進学実績」を向上させよとしていたのだろう。運の悪い事に、私が入学した年ぐらいから、高校を卒業する2000年前後が、智辯和歌山高校の「進学実績」が一番良かった頃である。私の「人生の歯車」が狂い始めたのは、この学校に入学したことにあると言っても過言ではない。「辞めれて、公立高校に再入学する生徒」が続発した。しかし、私は辞める気がしなかった。「せっかく、勉強して入学したこと」「辞めると、この学校に負けたことになる」という奇妙なこだわりによって。私が、いつも「人生の貧乏くじを引かされる」と確信するのは、「智辯和歌山中学、高校」で一番の「暴力教師」が担任であったことだ。この「暴力教師」は、「俺は、ボクシングと空手をやっていた。」と豪語して、気に食わない発言をした生徒を、「ボコボコ」にした。まさに「体罰」を超えて、「暴行罪」という「刑事罰」にも問われるものであった。しかし、30年前は、「私立高校」は、それが通用した時代であった。この「暴力教師」が、一度体罰を加えて、被害者の生徒の親が、学校側に苦情を言って、この教師は、謝罪したという。私は、この「暴力教師」に徹底的に「目を付けられた」。私は、いまと違って、その当時は、「本当に純粋で真面目」な生徒であったにもかかわらず。おそらく、「暴力教師」は、私の育ちの良さのようなところが気にくわなかったのだろう。この「暴力教師」は、ボクシングや「空手」をやっていたと豪語したが、「空手の蹴り」を観察すると、「素人レベル」なのだ。私は、この「暴力教師」に影響されて、空手道場に通った。つまり、この「暴力教師」は、ボクシングや空手をかじっただけで、ほらを吹いて、「子供」を脅しているのである。この「暴力教師」に、凄まじい「暴行」を受けた同級生がいた。この男は、顔色一つ変えないどころか、笑っていた。どれだけ「図太い男」なのかと私は感じた。40年の私の人生で、この男より「図太い神経の持ち主」をいまだ見たことがない。この男は、今は、医者になっている。ただ、彼が、「脳神経外科」と「外科」のような「緻密な手術」を要する診療科目の「医者」でなかったことが良かったと思う。「図太い」「いい加減な」神経の持ち主が、「脳神経外科」「外科」の医者であれば、「医療事故」にもつながる。私は、いまだに「暴力教師」に「ボコボコ」にされても「顔色一つ変えなかった男」を模範として生きている。それにしても、この「暴力教師」が「朝日新聞」の地方版で、「共通テスト」の際にチョコレートの「キットカット」を「きっと、試験に勝つ」という意味で配ったという記事が掲載された時、私は、しばらく新聞を持ったまま、茫然としてしまった。汚いことをしても、「処罰されずに、のうのうと生きている」。「勧善懲悪」は、夢物語ということだ。