孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「社会の役に立たない人間」であるが、ある一つの分野においては天才的に精通している 「無用の用」のような存在になりたいと思う ヘンリー・ダーガーのようになれないが

「無用の用」という言葉があるが、一般的に社会の役に立たない人が別の意味で有用な役割を果たしているという漠然としたものである。ただ、この言葉は、ある特殊な才能を持った人を褒めたたえる時に使うことがある。例えば、社会に適応できなかったり、身の回りのあたりまえの事が出来ないが、ある特殊な才能を持っている人たちが少なからず存在する。特に、芸術、文学、数学といった分野でそうした人たちは、異常な才能を発揮する。一般的に現代の精神医学では、「アスペルガー」の天才型と呼ばれる。ただ、精神医療の現場において、発達に遅れがあったり、問題行動を取る子供に対して、「この子は特殊な才能を持った天才です」と事実を歪曲して診断する医者がいる。おそらく特殊な才能を持った「天才」ではないにもかかわらず、親御さんを安心させるために、敢えて嘘を言うのだろうと思う。精神科医の言葉を字義通り受け止めて、「我が子は、天才なのだ」と信じ込む親があまりにも多い。自分の子供が、「アスペルガー」で知能に遅れがあるという厳しい現実を受け入れたくないから、精神科医の言うことを鵜呑みにしてしまうのだろう。ヘンリー・ダーガーというアメリカの芸術家は、知能に遅れがあり、掃除夫など社会の最底辺の仕事をしながら芸術作品を残し、名を知らしめた。他者との接触を断って、ただひたすら絵を描き続けたヘンリー・ダーガーの心中は誰も知る由はない。ただ、彼が残した作品から各々が感じ取れればそれで良いのだと思う。私自身の事を言えば、非常に「マニアック」な人間で、一つの事に集中し始めたら、生活のすべてを捧げてしまうほど「のめり込む」タイプの人間である。ただそうした知識が一度たりとも役に立ったことがない。「そんなマニアックな事を知っていて、どうなるのか」という冷たい反応ばかり感じて来た気がする。周囲からは、「変人」扱いされてきたが、最近は、それでも良いと思うようになった。ヘンリ・ダーガーのような「天才」には到底なれないだろう。しかし、「社会の役に立たない人間」であっても、自分の好きな事を徹底的に極めていきたいと思う。