孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「赤ちゃん」は「誰でも同じ様な顔をしているが」 全く違う やはり「将来何者かになる人間は風貌が整っている」 私もそうだったのに 何故「社会生活不適応者」になったのか? おそらく「異常なまでに鋭すぎた」のだろう

 私の小さい頃の「写真」を見たら驚いてしまった。明らかに、「端正で、賢い顔」をしていたからだ。父親は、「この子は、どんな大物になるか。」と期待したと言う。しかし、今の私は、「社会生活不適応者」と言う有様だ。一般的に「赤ちゃん」あるいは「3歳ぐらいまでの幼児の顔」と言うのは、同じようである。しかし、「将来何者かになる人間というもの」は、やはりどこか違った顔つきをしているものだ。最近では、発達障害あるいは、アスペルガー障害の子供の「顔つき」に特徴があるとおよそ「科学的」でない俗説が流布されている。例えば、将棋の天才藤井聡太が、「アスペルガー障害」だと言われている。これは、全く違っている。確かに、藤井聡太には、「アスペルガー障害」に極めて類似した「性格特徴」がある。藤井聡汰の将棋の対局時の「前屈みになる姿勢」は、「一つの事に異常なまでに集中して、周囲を気にかけない」と同時に、「恐るべく闘争心」をむき出したものだ。建築家の安藤忠雄と言う人間がいる。この人も、「一つの事に集中すると、周囲が見えない」タイプの人間だ。面白いエピソードとして、安藤忠雄が、「仕事の事を考えて、道を歩いていたら、溝に落ちて、ケガをした」という。安藤忠雄は、「ボクシング」の経験があって、運動神経が非常に良い。そういう人間でも、「入り込んでしまう」と周囲が全く見えないのだ。私自身もそうした「傾向」を持っている。全身から、「炎が出る」と言われるほどに、情熱を傾けてしまう。しかし、私が成功しないのは、やはり「人間関係」に恵まれないからだろう。要するに「危険な人物」と勘違いされて、その結果「不遇」をかこつことになる。また、私自身「おかしい事」に対して、黙って服従することが出来ず、「反抗」してしまうからだ。私は、幼児期から「過剰なまでに嘘くさいもの」に対して嫌悪感を抱き、過激な行動に出た。その性格は、生涯直らないし、直そうとする気などない。「鋭すぎる性格」と言うのは、非常に生きづらいものだ。しかし、私の闘いはまだ終わっていない。