孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「人に言われたこと」を異常なまでに自らの裡に取り込んでしまう私 おそらく「他人」の1000倍の「感受性」を持っていて それが「人生」を台無しにしたと思う しかし「人生」はまだ終わっていない!

私は、他人に言われたことを過剰なまでに自らの裡に取り込んでしまう。他人は、悪気があって言った訳でもないようなことまで記憶している。「悪意」を持って言った場合は、ことさら根に持ってしまう。何故、そうした性格が形成されたのだろうか。おそらく私は、人一倍「感受性」が強い。他人の1000倍は、「感受性」が強いと言っても過言ではないだろう。公共の場で、マナーの悪い人間を見れば、常軌を逸して腹が立つ。時には、ブチ切れそうになる。普通の人間は、そこまで腹が立たないだろう。「世の中には、色々な人間がいる」と折り合いを付けて、マナーの悪い人間を許しているのが現状である。しかし、私にはそれが出来ない。「自己規範」が、異常なまでに強いので、「不逞の輩」を見て見ぬ振りが出来ないのだろう。おそらく、幼少期からの生育歴が私のそうした「堅苦しい性格」を形成したと思う。「かくあるべき」「そうするべき」といった「自己規範」は、エリートコースに順調に乗れば、大出世する。しかし、エリートコースから一旦逸脱してしまえば、それは、「面倒くさい人」「変人・奇人」としか世間一般では扱われない。「人に言われたこと」を異常なまでに気にするのは、負の側面だけではない。他者とコミュニケーションを取る際に、「慎重な言葉」を選んだ上で発言する習慣が私にはある。「自分が言われて嫌な言葉」を絶対に他者に言わないという「ポリシー」のようなものを私は持っているつもりだ。仮に私が、社会的地位のある立場であれば、個々人に応じて「適切なアドバイス」をしてあげる自信がある。他人の特性というものが私には良く分かるからだ。私の「異常なまでも感受性」が、人生を台無しにしてきたと最近つくづく思うようになった。自分が気に入らないことであっても、他者と歩調を合わせて、生きていくしかないのが世の常である。しかし、それが出来ずに私は、「社会生活不適応者」になった。こういった性格を変える事が出来ない。ただ居直って生きてくだけだと考えている次第だ。