孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

世の中をなめていて 既に「酷い目に遭った」 しかしこれからも「世の中」をなめ続けたいと思う

「世の中をなめている」と、酷い目に遭うと言われている。確かに、そうであろう。私自身は、ずっと「世の中」をなめて生きていた。そのためか、酷い目にもあったことがある。しかし、私のスタンスは、「世間の価値観」に絶対に迎合しないということだ。「自分に忠実であるべきだ」と常に意識をして生きている。「強烈な自我意識」と「自己顕示欲の強さ」が、私の性格を形成している。そうした性格は、幼児期から始まったものであり、40歳になって修正することも出来ないし、修正する必要もないと思う。私は、幼児期から人一倍「敏感な子供」「風変りな子供」であった。発達障害HSPなどではない。むしろ、社交性もあり、空気を読み過ぎるほどであった。しかし、「嘘くさいもの」に対する異常なまでの「反発心」「攻撃心」というものが常にあった。まだ正確に言葉を発することが出来ない頃に、私の家に来客があった時の事である。私は、急に「お客さん。帰って」とその来客に向かって言ったそうである。その来客は、妙に「お上品ぶっていて、いかにも自分たちが、上流階級の出自」であることを匂わせる人たちであったようである。おそらく、幼児の私は、本能的に、嘘くさく感じて、そのような言動を取ったのではないかと解釈している。私は、普段は、礼儀正しいのであるが、その人間が不本意な要求をしたりすると、「ブチ切れてしまう」という悪い癖がある。社会生活を送っていくうえで、こうしたことをするべきではない。我慢をすることが、「サラリーマン」や「公務員」として出世していく心得であるが、私には到底できない。「自分を押し殺してまで」他人に迎合することは絶対したくない。したくないでは済まされないのであるが。「世の中をなめる」事にも、意義があると思う。それは、「批評精神」を常に持って、社会事象を考察できるという点である。私は常に「少数派」の考えで物事を見てしまう。画一化した時代に「少数派」の方が、先鋭的であることもあるのではないだろうか。私は、これからも「世の中」をなめて生きていきたいと思う。