孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

蛭子能収さん 「最後の展覧会」 認知症というが「元々頭のネジが外れている」 描く「漫画」は「息子をネタにしたり」サラリーマンが「火だるまになったり」と恐ろしい内容 まさに「サイコパス」そのもの 

蛭子能収さんが、「最後の展覧会」を開くという。テレビでも紹介されていたが、「朝日新聞」が、一面を割いて紹介していた。蛭子能収さんは、テレビの健康番組で、認知症と分って、芸能界から離れていた。蛭子能収さんは、私が子供の頃から人気があって、つい最近まで大活躍していたのだから凄い才能である。「浮き沈みの激しい芸能界」で生き残るというのは、並大抵の事ではない。「ローカル路線バス乗り継ぎの旅」では、圧倒的な存在感を示した。この番組の面白いところは、蛭子能収さんだけが、太川陽介や他の出演者が、食事を取る際に、「自分の好きなメニュー」を勝手に食べていることである。そこが、視聴者を馬鹿受けさせた。蛭子能収さんの場合は、意図的に「笑い」を取るのではなく、素でやっているから、凄いのである。「吉本興業」の若手芸人は、蛭子能収さんを見習うべきだ。「笑いの神髄」は、笑わせようよとするのではなく、「存在そのもの」が、笑いになることである。そんな蛭子能収さんにも、危機が訪れたことがあった。1998年に「賭け麻雀」をして現行犯逮捕されたのである。その時に蛭子能収さんは、「東尾修だって、やってるじゃないか」と言ったとか言わないとか。逮捕されても、「反省」しないのが蛭子能収さんの凄いところである。蛭子能収さんは、元々は、「漫画家でその作風は、「ヘタウマ」と呼ばれていることはあまりにも有名な話。お世辞のも、絵が上手いとは言い難い。さらに、蛭子能収さんの漫画の「内容」がこれまた、ショッキングなものである。「サラリーマン」が火だるまになったりして、底恐ろしいものばかり。自分の息子をネタにして漫画を描いたりと。その内容は、「精神鑑定」をすれば、どのような「人格構造」が見えてくるか。とにかく、蛭子能収さんに対して世間の人が抱いているイメージと本人の人格が、全くかけ離れていることだ。蛭子能収さんは、認知症であるが、元々「頭のネジが外れていた」としか言いようがない。「蛭子能収」という名前自体が、「サイコパス」の匂いを感じさせて、恐ろしくなってくる。