孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「卒アル」ではイケていた私 「モテ基準」が変わっておらず「40年前」だったら「大モテで女と遊びまくっていたのに」と後悔だけの20年

部屋を整理していたら、卒業アルバムが出てきた。ユーミンの歌のように、私は「卒業アルバム」には全く思い入れがない。やはり、中学、高校が「暗黒」の時代であったからだろう。しかし、今の私の姿は、あの頃よりも、今の方がずっと「惨め」である。あの頃は、「何にでもなれる可能性」があった。しかし、私は、当時通っていた学校の「方針」に反発を感じ全く勉強をしなかった。酷い時には、世界史の期末試験が、「8点」の時もあった。世界史で、「8点」を取ることの方が難しい。数学や物理であれば、そういう点数を取る生徒もあるだろうが、「世界史」という暗記さえすれば、ある程度の点数を取ることができる科目で、「8点」を取る私は、ある意味相当の「強者」であった。世界史の先生は、話の分かる人であったので、怒ることもなく、「再テスト」をして下さって、何とか単位を取って、卒業することができた。「卒アル」に映っていた私は、自分で言うのもおかしいが、「イケている」のだ。他の男子が、不細工という訳では全くない。私は、その当時「空手道場」に通ったり、ランニングをしたりして、「肉体改造」に専念していた。また、「勉強」はしなかったが、「人生への展望」があって、溌剌として生きていた。しかし、私の「顔」は、「現代のモテる顔」ではない。東映やくざ映画や、Ⅴシネマに出演して、「渋い役」を演じて、男たちに人気のある「顔」なのだ。1980年頃から、「モテる顔」が変わり始めた。昔は、「男くさい顔」が女にモテた。女の方も、「男くさい顔」「正当派のハンサム」「端正な顔」を好んだ。しかし、1970年代の「政治の季節」が過ぎ去って、女たちは、「中性的な顔」「女みたいな男」を好み始めるようになった。以後、令和5年までその傾向が続いている。そういう時代にあって、「超男性的な顔」は敬遠されてしまう。私などは、その犠牲者である。40年前だったら、私は女からモテ過ぎて、遊びまくっていただろう。斬鬼の念に耐え得ない。