孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「電通」に入社した 高校時代いつも一緒にいた男 「私と付き合っていても自分が得をしない」と思うと 「裏切るような卑怯な男」 こういう奴が出世していく社会であるが 「どんな立場になっても変わらない人間」になりたいものだ 私は必ず最後に勝つ

高校時代いつも一緒に行動を共にしていた男がいた。「弁当」を食べる時も、授業が終わって帰る時も、常に一緒であった。私が通っていた高校は、「成績順」にクラスが編成されていた。 「一流大学」に合格するだけの「受験予備校」であった。「東京大学農学部」で事件を起こした少年がいた。あの少年も、私立進学校に通って、「偏差値信仰」という今では「形骸化された価値観」を持っていて、それが犯行動機となった。はっきり言って、今の若い人は、「大学のブランド」にこだわらない。ただ、私の時代ぐらいまでは、「偏差値信仰」が根強く残っていた。「Z世代」やその他ややこしい名前の世代は、「違う価値観」を持っている。「顔面偏差値」がその最たるものだ。私とその男は、いつも「学校の管理体制」の悪口を言い合っていた。この男とは大学で別々になったが、何度か郷里で会うことがあった。その時に「態度が急変していた」のだ。おそらく、「上昇志向」に目覚めて、「一流会社」に就職する「エリート意識」が芽生え始めていたのだろう。私は、「高校時代」から変わらず、「既成の社会概念」に反抗意識を持ったまま。いやそれどころか、ますます「反社会的な思想」を好むようになった。その男は、私のような男と付き合っていると、碌なことがないと思っったのだろう。そしてこの男は、天下の「電通」に入社した。だだ、社内では、さほど「出世」していないようだが。私は、この男の「裏切り」を何とも思わない。良く良く、考えると、「人を裏切るような兆候」があったからだ。この男の実家は、会社を経営していて、高校生であるにも関わらず、「かなり高額のおこずかい」をもらって、遊び放題していた。人の事を言えない。というのは、私も「その当時の普通の高校生」よりも贅沢をしていたのだが。ただ、この男の場合は、「どこか弱い人を見下す傾向」があったのだ。この男でなくても、人間というものは、「社会的地位」や「肩書」を得ると、今まで付き合っていた人間に対して態度が急変することが非常に多い。一方どんなに偉くなっても、「昔と変わらず、謙遜さを忘れない人間」もいる。後者の方は、「本物の人間」であるが、現代ではごくわずかになった。私は、今「社会不適応者」として「最底辺」にいる。しかし、最後に勝つのは私だ。