孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

若松孝二監督 「ママ 僕 出かける 僕のお巡り殺しに」「警察官に酷い仕打ちを受けて」「映画の中で警察官を殺したい理由」で「映画監督」になった 「そうした情念」を持った映画監督が皆無になった 

「福田村事件」と言う映画が「リベラル派」に大絶賛されている。関東大震災の時に朝鮮人が「デマ」によって虐殺された事件をモチーフにしたもので、一見して「過激なテーマ」を扱っているようであるが、たかだか知れている。監督は、森達也であるが私は見る気がしない。森達也はこれまでにも「オウム真理教」の映画を監督したり、政治的な題材を扱っている。しかし彼の「ファッション性」のようなものが私には嘘くさく感じてならないのだ。どうも、最近「アナーキー」「反社会的」「ラディカルな」映画を撮れる映画監督が皆無になった。1960年代に「学生運動」に熱心な大学生たちにとって「カリスマ的存在」の映画監督がいた。その名は、若松孝二と言う。若松孝二は、「ピンク映画」を数多く撮った。しかしこの「ピンク映画」は、ただ「男女のセックス」に終始せずに、「政治性の強い内容」であった。敢えて言えば、「女の裸」は客寄せのためだけで、「自らの政治的主張」を訴えるのが目的であった。若松孝二監督は、「農業高校中退」と言う学歴であり、日本映画界にあって稀な存在である。映画監督は、東京大学出身を中心に「エリート集団」であったからだ。また、若松孝二監督は、安田組と言う暴力団で下働きをしていたこともあった。若松孝二監督は、「警察官から酷い仕打ちを受けたから、映画の中で警察官をぶち殺したいから映画監督になった」と良く発言していた。よほど、「警察官から受けた屈辱」が、若松孝二監督の「人生観」を変えたのだろう。デビュー作「甘い罠」では、実際に「警察官を殺すシーン」がある。しかし、現在公開された時に「カット」された。その後、「胎児が密漁する時」「狂走情死考」「日本暗黒史シリーズ」「ゆけゆけ二度目の処女」「情事の履歴書」など、低予算、無名の俳優の器用でありながら、日本映画史上に残る「名作」をヒットさせていく。最近の映画がくだらないのは、映画監督に「情念」が全くないからだ。映画監督は、プログラムピクチャーを撮っていても「自らの作家性」がなければならない。最近の映画監督はただ「世間の注目」を集めたい理由で、「毒にも薬にもならない映画」を「学芸会レベル」で撮っているだけだ。若松孝二監督のように「私憤」と「情念」で生涯にわたって、映画を撮り続けた監督は今後表れないだろう。