孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「死守せよ、だが軽やかに手放せ」 米津玄師もお気に入りの言葉 現代のように「混沌とした時代」を生き抜くには「発想」の転換と「強い信念」が必要だと思う

「死守せよ、だが軽やかに手放せ」という格言がある。これは、元々は、イギリスの演出家であるピーター・ブルックの言葉である。米津玄師がこの言葉を気に入っていて何かのインタビューで引用していた。さすが、米津玄師だと思った。現代のように、価値観が多様になってきた時代において、「固定された価値観」に縛られずに生きていくには、柔軟性が必要である。しかし、軽過ぎてもいかず、「これは絶対に他人に譲らないという」ような強い信念も必要である。私がこの言葉を知ったのは、映画監督の深作欣二氏が、この言葉を何かの色紙に達筆で書いていたからである。深作欣二監督も、米津玄師と同じように「死守せよ、だが軽やかに手放せ」という言葉を気に入っていたのだろう。深作欣二監督も、信念の人である。大ヒット作「仁義なき戦い」で世に知られるまでは、あまり冴えない映画監督であった。しかし、努力家で、深作欣二監督の師である猪俣勝人というシナリオライターが、「彼は、非常に努力家で、日大芸術科学科の学生の頃に、他の学生が、シナリオの授業で、書くことを怠けるのに対して、深作欣二だけは、懸命にシナリオを書いて、私の添削を求めた」と述懐している。おそらく、猪俣勝人という名前を知っている人は皆無であろう。もし知っていれば、相当の「日本映画」に精通したマニアである。深作欣二監督は、天才というより「努力」と「信念」の人だと私は思う。「仁義なき戦い」は、工藤栄一監督が候補に挙がっていた。工藤栄一監督の事については、私は、ブログで度々書いているのが、ほとんどの人は知らないようである。工藤栄一監督は、「必殺シリーズ」の礎を築いたと言って良いだろう。各シリーズにおいて、初回を演出して、「シリーズ」の方向性を決定的なものにした。「必殺シリーズ」と工藤栄一の事はまた別の機会に論じたい。深作欣二監督は、人間的にも魅力があった。無名の役者の名前を覚えて、一人一人に演技指導した。映画に参加する者にスターも端役の人間も同じであるという考えをする映画監督はほとんど存在しないだろう。また同時に「激しい情念」を持っていたから、仁義なき戦いのような歴史に残る「バイオレンス映画」を作ることができたのだろう。「死守せよ、だが軽や手放せ」は、現代のように混沌とした時代を生き抜くには、何らかの示唆を与えてくれる。私も、他人から何と言われようと、「世間の既成概念」に挑戦する「独自の思想」を信じて生きていきたいと思う。