孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

小学生 少しでも「メンタル」の構造が違ったりすると 「特別支援学級」と言わずに「何とか教室」とクラス分けする 私の頃は「少人数学級」と呼ばれて物凄い差別をされていた 「差別の構造」は変わらない!

最近の小学校で大変なことが起きている。少しでも「発達障害」の疑いや「行動面」において他の子供たちと違う特性があれば、支援を要する子供と見做すのである。「発達障害」の過剰診断は、もう何年も前から問題視されている。しかし、「メンタルの構造」が他の子供と少しでも違えば、「支援学級」とダイレクトに言わずに、「何とか学級」に入れる。これは、非常に危険な事だ。「発達障害心理検査」は、発達障害に仕立てるものでしかない。「知能検査」を行うのであるが、その問題をやれば、健常な人でも「引っかかる」ような「出題形式」になっている。知能指数と言うのも当てにならない。最近は、「境界知能」という「グレーゾーン」の人たちの存在がクローズアップされているが、およそ科学的、医学的根拠がない。私は、1981年生まれである。私が小学校の頃に、「少人数学級」というのがあった。所謂「知的障害」の子供たちが、在籍する集団である。普段は、同じクラスで一緒に勉強するのであるが、「支援」を必要とするので、わざわざ「少人数学級」をつくり、所属させるのである。1学年に数人がいただろうか。その子供たちに対する「偏見や差別」はすさまじいものがあった。やはりその子供たちは、外見からも明らかに「知的障害がある」ことが分かる特徴を持っていた。ただ、「差別と偏見」を持ちながらでも、まだどこかその子供たちを「包摂」するような「寛容さ」が残っていた。つまり社会における「異物」を現代のように異常なまでに排斥する風潮がなかったということだ。現代は、少しでも他人と違う特性を持った人間を排斥する。様々な原因が考えられるが、ここでは言及しないことにする。現代の学校では、1学年に数人ではなくて、かなりの数の子供たちが、「支援を要する子供」と見做される。親の方も、「自分の子供は他人の子供と違う特性を持っている」と思わされて、信じ込む。その必要性など無いにもかかわらず。私は「社会生活不適応者」であるが、昔弟に「お前は、少人数学級の人間と変わらない」と罵倒されたことがある。この弟のように、「少人数学級の子供」への差別は一生残るのである。今の学校が、「差別される子供」を生産してると言っても過言ではない。