孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

小林多喜二が特高警察の拷問で殺された日 共産党に対する 警察組織の人権侵害は後を絶たなかった 「横浜事件」に連座して獄中で拷問を受けた 「噂の真相」の編集長岡留安則さんも一目置いた 青地晨氏 私が最も尊敬するジャーナリストである

2月20日は、小林多喜二特高警察による拷問で殺された日である。小林多喜二のように特高警察による拷問まがいの取り調べは戦前のものだけではない。戦後、警察組織が改編されても過酷な取り調べによって数多くの冤罪事件が生み出された。特に看過できないのは、共産党に対する「フレームアップ」だ。松川事件、菅生事件などは、警察組織が共産党員を犯人にでっち上げた事件である。菅生事件などは、現職の警察官が、交番にダイナマイトを仕掛けて、爆破させて、共産党員の仕業に見せかけた目に余るものだ。昭和61年の日本共産党幹部である緒方靖夫氏の自宅が警察組織によって盗聴された。実行犯の警察官たちは逮捕されたが、警察組織の行為は刑事裁判においては認められず、民事裁判での勝訴となった。いまだ警察組織が共産党を「暴力革命の方針」を堅持する政党であると認識している。共産党はいまだ警察組織から目の敵にされているのが現状だ。私が一番尊敬するのは青地晨という方である。誰も知らないだろう。団塊の世代でも知っている人は、ある特定の思想を持った「インテリ層」だけ。「噂の真相」の編集長であった岡留安則さんは青地晨さんを一目置いていた。岡留安則さんが噂の真相を創刊した際に、「マスコミの切込み隊長」と絶賛した。また青地晨さんは、大家荘一さんの弟子であり、日本ジャーナリスト専門学校で教鞭を取っていた。岡留安則さんは、青地晨さんが体調のくずれない時に、代打として日本ジャーナリスト専門学校に教えに行ったりしていた。青地晨さんは、戦前「横浜事件」に巻き込まれて、特高警察から拷問を受けた。青地晨さんの本名は青木滋である。横浜事件の文献には青木と言う名前で被告と記述されている。青地晨さんは、戦後その体験から「冤罪事件」を取材する。青地晨さんが書いた文章には、冤罪に巻き込まれた被告人たちへの限らないやさしさがある。それは青地晨さん自身も警察組織に人権を侵害されて、筆舌に尽くし難い「トラウマ」を抱えていたからだ。現在でも「冤罪事件」を取材するジャーナリストや作家がいるが、「裁判結果」の事実を箇条書きにしているだけであって、「パッション」が全くない。青地晨さんのような冤罪に巻き込まれた被告人を自分に引き寄せて、「警察組織」への恨みを激烈に綴る作家はもう二度と表れないだろう。