孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

34年の歳月を賭けて 強姦罪という「冤罪」を晴らした 松尾政夫さん 警察の「デタラメな捜査」は今の昔も変わっていない 「わてはやってまへん」と死ぬまで主張し続けた執念

わが国の「刑事司法」において、昭和50年に「白鳥決定」が下されたことの意義は、非常に大きかった。「白鳥決定」によって、「財田川事件」「免田事件」「島田事件」「松山事件」と死刑冤罪事件が、「再審無罪」となって、それぞれの被告人たちが、死刑台から帰還した。しかし、「財田川事件」「免田事件」「島田事件」の陰に隠れているが、34年の歳月を賭けて、「自らの身の潔白」を晴らした事件があった。「松尾老事件」と呼ばれている。事件は、昭和39年8月13日に熊本県で発生した。女性が、映画館に行った帰りに、強姦された。2人の女性は、映画を見終わって帰り路に、男に追いかけられ、足の遅い女性が捕まって、強姦された。被害女性の「犯人は、松尾政夫にそっくり」という「目撃証言」のみ、松尾政夫さんは、警察署に連行された。松尾政夫さんは、「自分は断固として、女性を強姦していない」と訴えた。しかし、警察は、松尾政夫さんの「言い分」を聞くどころか、暴行を加えて、「調書」を取った。松尾政夫さんは、警察官の「暴行」に屈することなく、否認し続けた。しかし、一審の熊本地方裁判所は、懲役3年の「有罪判決」を下した。「被害女性の目撃証言」と「松尾政夫の陰茎の先が濡れていたので、これを精液」と断定したという「非常に脆弱な証拠構造」だ。松尾政夫さんは、服役した後に、16年間で、「12回の再審請求」をする。しかし、裁判所は、刑事訴訟法で定められている「無罪を言い渡すべき明らかな新証拠」と認めずに、松尾政夫の訴えを却下し続ける。それでも、松尾政夫さんは、諦めなかった。大阪の相馬達雄弁護士の事務所を何度も訪れて、弁護依頼をする。相馬達雄弁護士は、最初は、「仕事が忙しい」と言って相手にしない。しかし、相馬達雄弁護士は、松尾政夫さんの「必死の姿」を見て、「無罪」と確信して、弁護を引き受ける。相馬達雄弁護士が、注目したのが「血液型」。1つ目は、「被害女性の下着に付着していた精液の血液型が、A型であった」こと。松尾政夫さんの「血液型O型」であり、「真犯人」と矛盾すること。相馬達雄弁護士は、昭和58年熊本地裁に「13回目の再審請求」を提出した。裁判所も、動き出し、「目撃証言」の「信用性」を調べるために、「夜間検証」を実施する。当時の事件現場をなるべく再現して大がかりな実験である。その結果、「目撃証言」は、極めて曖昧であることが判明した。平成元年1月31日にようやく、松尾政夫に対して「無罪判決」を下す。松尾政夫は、その前年の昭和63年5月5日に亡くなっており、自らの耳で、「無罪判決」を直接聞くことが出来なかった。松尾政夫は、生前「わては、やってまへん」と言い続けた。「冤罪事件」においては、「警察組織」から目を付けられやすい「素行不良の者」や「前科のある人間」が「真犯人」にでっち上げられることが多い。しかし、松尾政夫さんは、真面目で、妻と仲が良く、一生懸命に働く人間であった。そういう「何の落ち度もない無辜の人間」が、ある日「警察組織」に陥れられる。こうした「人権侵害」は、過去の出来事ではない。「警察組織」にとって、松尾政夫さんのような「善良な人間」こそ「生け贄」にすることなど容易いからだ。