メディアの皇室の報道に在り方を見ていると、違和感を感じてならない。
佳子さまが、何かのイベントに参加すると好意的に報道する。
佳子さまを見ていると、嘘くさいものを感じてならない。
小室圭という「胡散臭い男」と眞子さまの結婚に対しても、リベラル派は、全く批判しなかった。
小室圭の母親の小室佳代を告訴したのは、元「共産党員」の篠原常一郎氏だ。
しかし、検察は、辺戻という形で、「真実」をうやむやにした。
「皇室」の在り方を肯定するのが、リベラル派というのは、どうも納得できない。
かつては、戦争を経験して、「皇室アルバム」を見ると、テレビのチャンネルを回すというほどに、「戦争」で心に深い傷を負った人たちがいた。
「天皇の戦争責任」など言うものは、もはや「奇特な人間」と見做されるようになった。
私も「戦中派」の人間と同じで、皇室を持ち上げる「テレビ番組」を見ると、チャンネルを直ぐに変える。