孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

愛子さまのお相手が誰であっても 庶民には縁遠い世界 何時から「リベラル派」は皇室に好意的になったのか?敢えて時代錯誤の「天皇制反対」と言いたい

新聞の週刊誌の見出しに、「愛子さま」のお相手が誰であるとかということが大きく掲載されている。はっきり言って、私からすればどうでも良いことだ。メディアの報道は、秋篠宮家には批判的なのに対して、天皇家に対しては好意的な報道をする。リベラル派は、どちらに対しても好意的な感情を抱く。昨年の眞子さまの結婚にしても、あれは、国民を小馬鹿にしたものである。小室圭と小室佳代という胡散臭い親子。小室圭は、NY司法試験に合格してしまったら、誰もそのことを追求しようとしない。「5点足りなかった」という小室圭の言葉は、どんなお笑い芸人のネタよりも面白いものであった。小室佳代と不正受給や反社会勢力との関係についても、結局のところ闇に葬り去られてしまった。篠原常一郎氏が、頑張っているが、氏のやり方には同意しかねる点が多い。篠原常一郎氏は、元共産党員であり、その反動から保守的派に転じたため、思考パターンがあまりにも安直なものである。そもそも秋篠宮家の眞子さまの結婚は、「わがまま」から始まったものに過ぎない。それを多くの「リベラル派」は、「女性の自立」「皇室の在り方が大きく変わろうとしている」など訳の分からない解釈をしてしまった。特に、フェミニストたちは、眞子さまを擁護した。かつては、「天皇」という言葉を聞いただけで、吐き気をする人たちがいた。極左と呼ばれる人たちのみならず、戦争で人生を翻弄された人たちは自ずとそういう反応をした。「天皇の戦争責任」など、もはや論じられなくなった。しかし、私は、天皇に戦争責任があると思う。愛子さまが誰と結婚しようが、庶民には全く関係のないことだ。由緒ある名門の家柄の御曹司に決まっているのに、何故、そうしたことに関心を持ちたがるのだろうか。天皇一家を私たち庶民と近い距離になったと主張する頭の悪い人がいるが、とんでもない事実誤認である。一体何時から、リベラル派は、「皇室」に好意的になったのだろうか。敢えて、時代錯誤の「天皇制反対」と言いたい。