孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

今更ながら映画「聖の青春」について

テレビで録画していた、映画「聖の青春」を見る。原作に忠実なのは、許せるが、いくらなんでも、村山聖羽生善治の姿、格好を2人の役者に真似させるのは、いかがなものかと思う。松山ケンイチは、それなり熱演していたが、何か物足りなさを感じた。東出昌大は、演技力不足も甚だしい。ただこの映画、脇を固める役者陣と素晴らしい演技と、近頃にない、堅実な演出で、質の高い完成となっていた。また、柳島克巳氏のカメラワークは、素晴らしい、奥行きを与えていた。北野武監督作品の専属カメラマンである。「3ー4×10月」「あの夏,いちばん静かな夏」など、撮影を担当した、柳島克己氏の実績も大きいだろう。将棋という勝負の世界の厳しさと、自らの死と向き合いながら、将棋に賭ける村山聖の人生が、遺憾なく描かれていた。原作は、もっと師匠の森信雄と深い絆で結ばれているように書かれている。しかし、映画版は、さっらとした関係に終始している。リリーフランキーは、上手な役者であるが、ミスキャストである。原作の森信雄は、田舎っぽくて、泥臭い感じがする。意外に感じたのは、筒井道隆演じる、将棋雑誌編集長である。90年代の、筒井道隆のイメージが無く、役者として、一皮むけた、大人の役者になった。しかし、この映画の中で一番輝いていた役者は、村山聖の父親を演じる、北見敏之さんだ。セリフが少ないが、死にゆく子供を持つ親の心情を、リアルに演じていた。下手な役者だと、おおげさな振舞いで、演じてしまうだろう。しかし、北見敏之さんは、さりげなく、息子を見守る父親になりきっていた。このようなことは、相当の演技力がなければ、不可能だと思う。芸歴50年近い大ベテランの方である。長年、端役をこなし、舞台の役者としても活動を続けてきた。人生経験が豊富であり、それが、自然と、役柄に滲み出てしまうのではないだろうか。劇中、「死ぬまで女を抱きたかった」と村山聖が、つぶやくシーンがある。また、大阪時代、一方的に、思いを寄せている、古本屋の女の子が登場する。童貞のまま、死んでいった、村山聖松山ケンイチでは絶対、その悲しみを体現できないだろう。青春という言葉は、陳腐かもしれない。現代の日本映画界にあって、「聖の青春」ほど、青春とういうものを真摯に描いた作品は、他にないのではないだろうか。