孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「令和元年のテロリズム」という本は、いささか大袈裟すぎないか?

「令和元年のテロリズム磯部涼著、新潮社とうい本がある。2019年に発生した3つの事件に言及し、共通項を見出していく意義はそれなりにあると思う。しかし、どうにも腑に落ちない。スクールバスを待っていた小学生20人を襲い、自殺した川崎氏登戸通り魔事件。元農林水産省事務次官の熊沢英昭が、ひきこもりの長男を殺害した事件。そして、青葉真司被告が、逆恨みして、京都アニメーションを放火した、京都アニメーション放火殺人事件。著者は、この3つの事件と2008年に発生した秋葉原通り魔事件と同時代性を持っていると指摘する。加藤被告は、昭和57年。青葉被告は、昭和53年。熊沢被告に殺害された長男は、昭和50年。いずれも就職氷河期世代だという。就職氷河期世代は確かに、他の世代と比較して、就職率が低いが、それと直接的に犯罪と結びつけるのは、あまりにも短絡的ではないだろうか。令和元年に偶然に、ワイドショーの話題になる事件が発生しただけのことである。それぞれの事件の背景は、まったく異なったものであり、個別具体的に考察していくべきだ。小学生20人を無差別に殺傷した岩崎隆一が50歳で、ひきこもり状態であったことから、世論は、「80、50」問題をいたずらに喧伝していく。80歳の両親が、働かない、50歳のひきこもりの子供を養っている。ひきこもりの高齢化が進めば、自ずとそのような年齢構成の家庭になるだろう。「80、50」問題は、以前から予測されたが、ひきこもり支援に携わる人たち、ならびに行政は、何ら対策を講じてこなかった。事件の影響で、ひきこもりの事情を知らない、3流ライターが、高齢化したひきこもり家族について、書いているが、まったく普遍性がない。この岩崎隆一被告には、「自分は、ひきこもりではない」と周囲に漏らしていたようである。ひきこもり問題より被告人の心の病理に、注目するべきではないのか。さもなければ、ひきこもりが、犯罪予備軍とういう間違った印象を世間に与えかねない。元農林水産省の官僚が、息子が、この岩崎被告のように、犯罪を犯しはしないかと懸念し、殺害した。日頃の家庭内暴力に耐えかね、突発的に息子を殺してしまったことは、あまりにも痛ましい。官僚という社会的地位がありながら、何故もっと、冷静に対処できなかったのか。京都アニメーションの青葉真司被告の犯行は、「テロ」と呼べるものなのか。支離滅裂な面が多く、旧来型の無差別殺傷事件と色合いが違っている。旧来型の無差別殺傷事件は、社会に対して報復をするといった意識が被告人の中にあった。それが、精神医学上、被害妄想と診断されても。どうも、令和元年の被告たちは、一応計画を立てているが、成り行きで、犯行に及んだように思えてならない。