袴田事件において、30日、東京高検は、専門家の意見を踏まえた意見書を提出した。この意見書なるものは、弁護団が、警察によって、捏造されたとういう主張に対する、言いがかりとしか思えない代物だ。2020年12月22日に最高裁は、袴田事件の再審を認めなかった東京高等裁判所の決定を取り消し、審理を東京高裁に差し戻した。その日一日だけ、新聞は、大々的に取り上げたが、その後の動向を一切報道していない。袴田事件は、昭和41年6月30日に静岡県清水市で、みそ会社の専務一家が殺害された事件である。今年で、55年の歳月が過ぎようとする、冤罪事件である。袴田事件については、評論家、法曹関係者、一部の市民運動家らによって、検証されつくしていて、完全なる無罪と断言しても良いだろう。袴田事件に関する本は、数多く出版されていて、小学生高学年の読解力があれば、犯人は、袴田巌さんではないことが分かる。ボクサーくずれという偏見で、袴田巌さんに目をつけて、自白を強要し、証拠を捏造したことは、明らかだ。元プロボクサーというタフな肉体と精神力を持っていたはずなのに、嘘の自白をしてしまった。おそらく、取り調べ室で私たちが想像を絶する、激しい拷問を伴った取り調べがなされたのだろう。2007年には、第一審で判決に関わった、熊本典道氏が、合議性で、他の裁判官を説得できずに、死刑判決を書いてしまったと公表する。警察官調書44書を破棄し、検察官調書1書のみを採用した、判決は、熊本典道氏の苦肉の策であったにもかかわらず、その後の裁判官たちは、真実を見抜けなかった。袴田事件を語る上で避けらないのは、姉の袴田秀子さんの存在だ。事件当時から弟を支え続けてきて、88歳という御高齢になられる。袴田巌さんも、85歳になる。姉の袴田秀子さんは、底抜けに明るい。死刑囚の姉であると、差別された、つらい経験など、微塵も感じさせない。それだけに、この2人を見ていると、冤罪というものが、どれほど、理不尽で過酷な生を強いるものか、怒りを禁じ得ない。今回の検察のやり口は、非常に汚い。いたずらに、裁判を延ばし、袴田巌さんの死を待っているようにしか思えない。裁判所も、誤った判決を下してしまったことは、認めるわけにはいかないだろう。「選択的夫婦別姓は、違憲である」という裁判を提起する人たちは、袴田巌さん、秀子さんが、警察、検察から人権を蹂躙されたことを、考えるべきだと思う。夫婦の姓など、馬鹿馬鹿しことで、袴田さんらの裁判に対して、真剣に怒るべきことではないのか。