孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

瀬戸内寂聴 3歳の娘を捨てて不倫 身勝手な生き方を何故称賛するのか?

9日、瀬戸内寂聴が、99歳で亡くなった。メディアは、瀬戸内寂聴の功績を過大に評価し、著作が売れている。3回の不倫という、奔放な男性関係を隠さずに、露骨に見せたことが、その当時の女性の生き方としては、斬新なもので、世間の耳目を集めたのだろう。大正生まれで、瀬戸内寂聴と同年代で、そのような生き方をした女性は、ほとんど存在しないと思う。大半の女性は、戦争で夫を亡くしたりして、生活が貧しくて、不倫など到底できなかった。それを考えると、無条件に、「女の自立」を早くから実践したなどと、無条件に評価することはできない。知識人、文化人の驕りや傲慢さがあり、一般庶民の感覚からおよそかけ離れたものである。まず最初に、学者だった夫の教え子と不倫。「小説家になります」と告げて、家を出た時、残された娘は、3歳。「戦争がなかったら、夫以外の人を好きになることも、娘を捨てることもなかった」と語っている。どうして、戦争のせいにするのか意味不明だ。自分の勝手な理屈で、3歳の娘を捨てることは、絶対許されるものではない。自分は、作家で特別な人間だから、庶民とは、違う生き方も許されるという特権意識まる出しで、不愉快で仕方がない。夫の教え子以外にも、小田仁三郎、井上光晴と不倫をしている。ただの男好きに過ぎないのに、あれやこれや理屈をつけて、自己を正当化しているとしか思えない。51歳の時に、「良い小説を書くために、文学の背骨になる思想が必要という」理由で出家した。これも、作家として、読者をひきつけようとする、打算が見え見えである。本当に、仏教に関心を持っていたとは、考え難い。京都の嵯峨野にある、寂庵での法話は、人気を博したが、どこが魅力的なのか私にはまったく分からない。また、連合赤軍永田洋子死刑囚や大麻事件で逮捕された萩原健一の世話をしたことが、弱者に寄り添うこととされているが、はなはだ疑問だ。永田洋子にしても萩原健一にしても、有名人であって、私たちとは別の世界の住人だ。もし、無名のホームレスが、瀬戸内寂聴に助けを求めていたら、おそらく門前払いという、冷たい仕打ちをしたのではないだろうか。晩年、66歳年下の瀬尾まなほという秘書も、胡散臭いこと極まりない。文化人なり知識人というものは、メディアによって作られた虚像であることが、往々にしてある。その虚像を単純に信じる人があまりにも多いのは、非常に残念なことだ。