孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

袴田事件 ギネスにも認定48年間刑務所に収監 警察のでっちあげは、明らかでも無罪にならない理不尽さ

戦後最大の冤罪事件と言えば、「帝銀事件」である。しかし、私個人の実感から、「帝銀事件」よりも、もっと深刻なのは、「袴田事件」だと思う。1966年6月30日静岡県清水市で、味噌会社の専務一家が殺害された、所謂、袴田事件。「袴田事件」については、司法関係者やジャーナリストによって書かれた書籍が、数多くある。たとえ、事件のことを知らなくても、中学生程度の読解力さえあれば、「袴田事件」は冤罪で、被告人の袴田巌さんは、犯行に関与していないことは、直ぐに理解できると思う。昨年の12月22日に、最高裁は、再審開始を認めない東京高裁の決定を取り消し、審理を高裁に差し戻す決定をした。それにも関わらず、裁判は、一向に進捗しない。裁判の争点である、「五点の衣類のÐNА鑑定」をめぐって、弁護側と検察側が、攻防を続けているだけである。警察は当初、袴田巌さんが、パジャマを着て、犯行に及んだと見做し、逮捕した。しかし、事件発生から、1年2ヵ月後に、味噌タンクから5点の衣類が発見された。パジャマに付着していた、血痕だけでは、袴田巌さんを犯人とするには、決定打に欠いた。そこで、警察は、味噌タンクに「五点の衣類」を放り込んで、捜査方針を変えた。長期間、衣類を味噌タンクにつけていれば、血痕も残るはずもない。このことは、袴田事件の支援団によって、実験されて、立証され尽くしている。警察が、袴田巌さんを犯人にでっちあげるためにしたことは、明白だ。袴田事件で一番忘れてならないのは、自白である。1日最長12時間も、警察官たちに、取り調べられるというあまりにも過酷なもの。最後、意識が朦朧とするなか、袴田巌さんは、嘘の自白をしてしまう。プロボクサーとして、激しいトレーニングと減量に耐えたはずの肉体と精神力を持ってして、取り調べの警察官に屈服してしまう。如何に、警察の取り調べが、非人道的なもので、過酷のものであったかを物語っている。2007年に、袴田事件の原審を判決を書いた、熊本典道さんは、袴田巌さんの無罪を確信したが、合議制で他の裁判官を説得できずに、死刑判決を書いてしまったことを告白される。熊本典道さんのように、有罪判決を書き、無実の人が苦しむことに、罪責の念を持つ、裁判官はほとんど存在しないのではないだろうか。裁判官は、自己保身のために有罪判決を下すことが慣習となっている。無罪判決を下すことは、警察、検察の圧力と対峙しなければならないからだ。袴田巌さんは、85歳。当初は、いつか無罪を勝ち取るつもりであったが、48年間も刑務所に収容され、精神が蝕まれた状態にある。その弟を逮捕直後から、56年間支え続けた姉の、袴田秀子さんも、88歳という高齢。警察に犯人にでっちあげられて、人生を翻弄された姉弟に、いまだ、無罪判決を下さないのは、あまりにも不正義だ。昭和、平成、令和と長きに渡って、雪冤を求めてきた、「袴田事件」が無罪にならない限り、日本の司法は汚点を残すことになるだろう。