孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「美しい人」に美人とは言ってはいけないのに 男性に「イケメン」と言っても良いという上野千鶴子の奇妙な論理

近年、政治家が不用意な発言をして、女性差別と糾弾されることが多い。五輪組織委員長だった、森喜朗が、「女性がたくさんいる理事会は時間がかかる」と発言して、辞任に追いこまれた。静岡県川勝平太知事は、「学力と容姿」を結び付けた発言をして、ネット上で炎上した。福島県相馬市の立谷秀清市長が、連合の芳野会長を「美人会長」と呼んで、謝罪させられた。相馬市長の立谷氏の「美人会長」発言について、上野千鶴子氏は次のように自説を展開している。「すでに、ブスと言う言葉が、タブーになりましたから、その対極にある美人も言っちゃダメと言うのは、当然のことですよね」と指摘したうえで。「近年、ルッキズムと言う言葉が登場しました。このイズムというのは、セクシズム、レイシズムなどの言葉に使われるように差別という意味です。外見について、とやかく言うのは差別であり、やってはいけないことです。褒めるということも同じです。」そして、女性が男性に、「イケメン」と言うことについては、「よくある反論なのですが、男は多元尺度なんです。たとえば、イケメンじゃなくても、学歴や地位とかそういった尺度がある。男にとってイケメンかどうかなんてマイナー尺度です。」こうしたフェミニズム思想が、意識高い系の女子のみかエリート階層の男子にまで支持され始めた。男が、「美人ですね」は差別なのに、女が、「イケメンですね」と言うのは、全く問題がないと区別すること自体論理的でなく、身勝手なものだ。「イケメンじゃなくても、多元尺度がある」というのは、大昔のことで、現代の男女の恋愛や結婚において、男の顔がすべてになっていることを考えると、上野千鶴子の見解は時代の空気をつかんでいない。また、学歴も地位もなく、顔の悪い男の存在が視野に入っていない。「イケメン」という言葉を耳にするようになったのは、2000年頃からだと思う。それから20余年、私たちが暮らしていく中で、「イケメン」という言葉を聞かない日はないぐらいである。男の価値が、「イケメンであるか否かに」になっていることは非常に差別的な問題を孕んでいる。「顔の悪い男は、人間でないか」のごとく扱われるとういう現状について、フェミニストたちは黙視するどころか、その差別に加担していると言っても過言ではない。