孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

ドラマ「セクシー田中」 「男の学歴・年収と女の若さと可愛さは等価交換」という前田公輝演じる商社マンの気づき 全く間違っている 「等価交換」ではなく現代では「男の顔と女の顔の非対称性」が問題だ!

ドラマ「セクシー田中」で、前田公輝演じる「モテなかった男」が、有名大学、有名商社と「エリートコース」を確実に歩んでいくと、「モテ」始める。同窓会で学生時代に振られた女をお持ち帰りすることに成功する。そして第7話で、「男の学歴と年収と女の若さは等価交換、どっちもどっち」という「恋愛観」を語らせる。この言葉が、一部の若い人の間で話題になっているそうだ。はっきり言って、間違っている。このドラマの脚本を書いたシナリオライターは、「時代感覚」を全く掴めていない。「男の学歴・年収」と「女の若さと可愛さ」が等価交換であるのは、はるかかなた昔の事である。団塊の世代までは、「社会的地位」があれば、「美人」と交際することが出来た。「バブルの頃」からそうした価値観が無くなって、恋愛や結婚において、重要視されるのは、「男の顔」だけになってしまった。たとえ、高学歴、高収入であっても、「不細工」であれば、結婚どころか恋愛する出来ない時代に突入して、令和の時代にまでそうした風潮がますます酷くなっている。生涯未婚率が異常なまでに高いのは、そうした「女の恋愛観」が背後にあるからである。また「少子化」の原因も、婚姻率の低下にあるが、国の対策は「問題の核心」を見過ごしたまま、不必要な対策しか講じていない。「等価交換」というなら、「ブス」と「イケメン」のカップルは成立するが、「不細工」と「美人」のカップルは成立しない現実をどのようにとらえるのだろうか。男は、基本的に「女の顔」さほどこだわらない。私は、美人に固執するが。男は、「ブス」でも「性的関係」を持つことを厭わない。それに引き換え、女は、「イケメン」に固執する。「イケメン」「イケメン」とこの言葉を聞かない日はない。はっきり言って異常なことだ。「美人」「美人」と言うだろうか。もし「美人」と言う言葉を使えば、フェミニストから糾弾されるのが現代である。「男の顔」が商品化されていて、恋愛や結婚において女の容姿は全く不問にされる。この「男女の非対称性」こそ問題だ。