孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

自分は本心から「ブス」と思う女はいない 一方自分は本心から「不細工」と思い 「地獄」を味わっている男がいる 男が「アイデンティティー」を確立するのが困難な時代である

街を歩いていると、凄く「太った体型の女」を頻繁を見かけることがある。私の体重の2倍くらいあるのではないかと思われるぐらい太っている。しかし、本人は、「見た目」を気にする素振りがない。昔であれば、「年頃のお嬢さん」が、そうした外見であれば、過剰に気に病んで、家から出ずに、ひきこもっていたようなことが往々にしてあった。最近の女は、そうした「自意識」や「恥じらい」が全くないように私は思えてならないのだ。一方、男が、「自身の顔」を異常までに気にする傾向が年々強くなってきて拍車が止まらない状態にあるのが現代の日本である。「イケメン」という言葉が、社会に浸透し始めたのは一体何時の頃からだろうか。1990年代の後半からと言われている。私が、古い「テレビガイド」を書庫から引っ張り出してきて、調べてみると、やはり1990年代の後半ぐらいから、「イケメン」という記事が散見された。今や、「イケメン」という言葉を聞かない日がない。ただ、世間でいうところの「イケメン」は、本当に「恰好良い男」「ハンサム」「好男子」ではない。「男のは履歴書」という言葉があるように、「生き方が自ずと表れる男」がかつて存在した。そういう男は、見た目も「シブい」うえに「中身」も伴った「大人の男」であった。しかし、今世間のいうところの「イケメン」は、ただの「女みたいな優男」で「女が街で一緒に手をつないでも恥ずかしくない顔」でしかない。男たちが、自らの「外見」を異常までに気に病むようになったのは、メディアが「イケメン」を常套句にしたことにあるだろう。「容姿や外見」において男がこれほど「センシティブになった」のは、恋愛や結婚において選択権が女にあるからである。女が男を選ぶ。女が男の顔を品定めする。そのため、「ブス」は、自らの外見を気にせず、堂々と街を歩く。それに比して、「不細工な男」は、世をはかなんだり、自暴自棄になったりする。いずれにしても「不細工男」の生きる道は、地獄であることは変わりないだろう。男が、「アイデンティティー」を確立するのが困難な時代になった。