孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

ひきこもりの男性に 女性をあてがう  当事者会で これは全く「女性蔑視」「女性差別」ではありません 昔は妙齢になれば親戚や近所の人が「お見合い」をセットイングしました 何もかも「女性蔑視」という頭の悪い人 基本的にひきこもりは「恋愛弱者」である問題が見過ごされてしまう!

ひきこもりの当事者会で、「男性のひきこもり」に「女性のひきこもり」をあてがうと言う発言が「女性蔑視」だと糾弾されたことがあった。これは、全くの言いがかりでしかない。昔は、妙齢になれば、親戚や近所の人が、「お見合いの相手」を何人か候補に挙げて、男性に「どの女性と見合いするか」などの「セットイング」をした。世話焼きおばさんと言われる人たちは、こぞって「何人もの女性」を探し、男性が「結婚」できるために奔走した。「見合い結婚」が、成立したのは、女性が「男の顔」を品定めしなかったからだ。あるおばあさんは次のように発言した、「見合いの席で初めて顔を見た。不細工で少し残念であると思ったが。誠実そうなので、結婚することに決めた」と。つまり、「男がが不細工であっても、真面目に働きさせすれば、一生のパートナーとしては相応しい相手」だったのだ。「見合い結婚」が廃れたのは、女が「男の顔」を品定めどころか「商品化」するようになったからである。「ルッキズム」が浸透して、「男の顔がすべて」という価値観が女の恋愛観を支配している。恋愛や結婚において、女の選択肢は、「男の顔」のみと言っても過言ではない。「私、男を顔で選ばない」と周囲に宣言しながら、付き合っているもしくは結婚相手の「男の顔」がイケメンという「ふざけた話」が多々あるのだ。それほどまでに「男に美」を求められる時代であることに誰も気づいていない。一方、女の方は、「美」を求められなくなってきた。「美人」と呼べば、それを「女性蔑視」「女性差別」という「フェミニスト」がいるほどなのだから。私など「美人」しか眼中にない。ひきこもりは圧倒的に男性が多い。近頃、「女性のひきこもり」が不可視にされてきたと声高々に主張し始めて、NHKなど大々的に報道した。しかし、「クローズアップ現代」で「事実を歪曲した報道」をした。その結果桑子真帆が謝罪した。「謝罪」するだけで良いのかと私は疑問だ。「女のひきこもり」も存在するだろう。しかし長期化するひきこもり当事者や犯罪に走る当事者は、男性の方が圧倒的に多い。ひきこもり男性は、「恋愛弱者」である。考えてみれば、「モテる」男が、社会と接触を断って、長期もひきこもるだろうか。「社会通念」に照らし合わせれば、自明のことだ。「女性をあてがう」を「女性蔑視」「女性差別」と糾弾して、困っている方がおられるが。本当に気の毒だ。何でもかんでも、発言の言質を取って、「女性蔑視」「女性差別」と糾弾する。言論の自由に対する侵害以外の何物でもない。