井筒和幸監督は、とかく反日と呼ばれる。映画の製作費を朝鮮総連から出資してもらっているなどの噂があるが、映画の完成度が高ければそれで良いのではないだろうか。井筒和幸監督は、毒舌であるが故に、誤解されやすい。先日亡くなった石原慎太郎が、自らメガホンを撮った映画に関して、「戦争を美化している」と批判して物議を醸すなど、歯に衣着せぬ物言いに対して反感を買うこともある。それは、映画を心から愛している故のことで、胡散臭いものや、偽善に充ちたものが許せないという正義感からくるものである。井筒和幸監督と北野武監督は犬猿の仲かどうかは知らないが、そもそも2人の映画作家としてのスタンスは正反対である。井筒和幸監督は、昔気質の映画監督で、台本をじっくり読んで、役者に芝居をつけて、カット割りしていくタイプ。一方、北野武監督は、勘やひらめきを即興で絵作りしていくタイプ。映画に対する考えが全く違うのに、気が合うはずがないと思う。井筒和幸は、自主映画製作を経て、「ガキ帝国」でメジャーデビューする。この「ガキ帝国」は、日本映画に残る名作である。島田紳助の好演。大阪を舞台にした映画は数多くあるが、本作ほど、大阪が持っている猥雑さを見事に体現した作品はないだろう。在日朝鮮人である国村準演じる、アパッチ族が、鉄くずを拾うシーンがあったが、大手映画会社配給では絶対不可能なことである。この映画の中では、国村準は別名で出演していて、今のように、名の知れた俳優ではなかった。これほど名優になるとは思わなかった。井筒和幸監督は、在日朝鮮人の問題についてライフワークのごとく取り組む。「ぱっちぎ」でもそうであったように。「ガキ帝国」以降、井筒和幸監督は迷走する。角川映画を撮ったり、全く肌合いの異なる作品ばかり手掛けることになる。おそらく、不本意であっただろう。「みゆき」では、離人症になり、精神安定剤を服用する程。井筒和幸監督は、非常に見かけと違い繊細な人間であることは誰の目にも明らかである。最新作の「無頼」も、意気込みを感じたが、あまり話題にならなかった。しかし、これからも、熱い映画魂で、胡散臭い人間を一刀両断して戴きたい。