孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

もしも世の中が「新喜劇の舞台」であれば 皆がひっくり返ると思う 私の「天然」のおかしさと個性の強さ それを武器に心強く生きていこうと思う

吉本新喜劇のお約束で、芸人が、ひっくり返るという「リアクション」がある。関西人であの「リアクション」を知らない人はいない。土曜日の午後に、吉本新喜劇を見るつもりがなくても、テレビのスイッチをそのままにしている家庭も多いだろう。私は、吉本新喜劇があまり好きではなかった。私の弟は、小学校低学年の頃から、見ていて、私は、弟は、「何と楽観的で、気楽な人間なのか」と思っていた。あの決まりきった「お約束事」が、どうも私は好きになれないのだ。私が求めている「笑い」は、こてこての「関西の笑い」でも「東京風のあっさりした笑い」でもない。「関西の笑い」は、ベタで、何一つ新規性がない。一方、「東京風のあっさりした笑い」は、毒がない。最近は、笑いの質がますます低下してきているように感じてならない。私の性格は、真面目であるが、「天然」で、知らない人が見れば、相当面白く感じるのではないかと思う。真面目に言っていることが、傍から見れば面白く、あるいは、馬鹿馬鹿しく取られてしまうことが良くある。私としては、そのような「ディスコミュニケーション」が不本意である。相手に自分の真意が伝わらず、誤解を受けて、不愉快な思いをしてしまう。しかし、最近は、逆転の発想で、生きていけば良いのではないかと考え始めた。真面目にやっていることが、他人が面白く感じれば、それは、新たな笑いの形式であるのではないかと。意図的に笑わそうとするのではなく、私のような「天然」の方が笑いとしては、面白いと思う。私は、現在は、社会生活不適応者で、大変暗い状態に置かれている。そのため、心から笑った日がしばらくはない。しかし、根っからの性格は、明るい。そもそも、性格というものは、3歳までに形成されるのではないだろうか。「3歳神話」というように。今後、私の人生は、ますます厳しくなってくるだろう。しかし、この世の中が、「新喜劇の舞台」であれば、皆がひっくり返るだろう、私の「天然のおかしさ」を武器に心強く生きていこうと思う。