孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

朝日放送「やすとものいたって真剣です」高学歴芸人 自分が頭が良いエピソードをひけらかす 芸で勝負するのがお笑い芸人ではないのか?

先日、朝日放送の「やすとものいたって真剣です」という番組に、吉本の高学歴芸人が出演した。「ネイビーアフロ」のみながわ、「ラフ次元」の梅村賢太郎、「たらちね」の草山公汰、そして「ロザン」の宇治原史規といった面々。芸人の高学歴化が進んでいいる。大学のお笑い研究会まであって、お笑い芸人になる時代である。今や、一流大学に合格するより、M1で優勝することの方が難しくなってきた。番組の中では、自分が、どれだけ勉強が好きで、頭が良いかというエピソードをひけらかし合うだけのくだらないものであった。よくよく見ていると、彼らには、本当の意味での知性がないと感じた。確かに、情報処理能力と暗記力には、長けているのだろう。梅村賢太郎は、言葉の意味を自慢たらしく披歴した。そうしたトリビアが一体何の意味があるのか甚だ疑問である。昔の一流芸人は、学歴がなくても、本当の意味で頭が良かった。上岡龍太郎という人がいる。関西人では誰でも知っていると思うが、引退して久しく、もう若い人は知らないかもしれないが。上岡龍太郎を見ていると、頭の回転が速く、気の利いたコメントと、世間一般の視聴者が何を求めているか瞬時に察知する能力があった。本当の意味での教養人であり、文化人と言っても過言ではないのではないだろうか。宇治原史規は、元祖「高学歴芸人」である。相方の菅広文も本を多数出版しているが、内容は非常にお粗末なもので読むに耐えない。この番組で、宇治原史規は、「自分が賢いと気づいたときは、小学校1年生の時の算数のテストで、100点を取らない子供が周囲にいることに驚き、自分は頭が良いと確信した」という。宇治原史規菅広文の笑いは、少しも面白くない。この番組を見ていて一番腹が立ったのは、草山公汰が、「笑い飯」の中西哲夫が経営する塾で、アルバイトをしていることだ。私は、以前「笑い飯」の中西哲夫が塾を経営することの胡散臭さについて書いた。やはり、「高学歴芸人」でまだ、売れていない芸人の受け皿になっているのは、いかがなものかと思う。「高学歴」でも別に良いが、「面白いか否か」が芸人の生命線だと思う。