孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

どんな人格者であっても あまりにも悲運が重なると もう「立ち上がれなくなる」それほどに「人間の人生」は生まれた時から定まっているものである

私は、「スピリチャル」や「霊的な事」に関心があることを再三ブログに書いてきた。私自身、当たるという霊能者から、悪い事ばかりを言われて、立ち直れない状態にある。「スピリチャル」や「霊的な事」に関心がない人は、馬鹿馬鹿しいと思うだろう。そういう人は、「人生の地獄」を見ていないからだ。私が知り合った人に本当に素晴らしい方がいた。その方は、一流コースをたどってきたお医者さんであったが、事故に遭い、下半身不随になって車いす生活を余儀なくされた。その方は、小児科医であったが、体が不自由になったので、小児科医を辞めて、精神科医に転向する。小児科医として働いている時、子供たちの体の病気と心が密接に関連している現実に直面して、精神医学に関心を持ち始めたようである。その方は、交通事故に遭遇する直前に、結婚したばかりの奥さんとの間に子供が生まれていた。幸せ真っ盛りに最中の出来事であり、相当精神的な打撃を受けられた。しかし、その方は、前向きに生きようと、精神科医となり不登校や心の問題を抱えている子供たちと向き合うようになる。しかし、交通事故の後遺症や元々体が弱かったことなどが重なって、腎臓が悪くなり、40歳にならずして亡くなられた。私は、その当時高校生であって、その方の近所に住んでいたこともあって、知己を得て、様々な教えを戴いた。私の人生で、これほど頭の良い人はいないと思うぐらい優秀な方で、人間的にも申し分がなかった。しかし、交通事故は乗り越えられたが、腎臓の病気が悪化して、亡くなる直前は、「どこか以前のようではなく、もう何も言えないぐらいに、打ちひしがれているような状態であった」。私は、見るに忍びなかった。何が言いたいのかというと、「どんな人格者」であっても、悲運が重なるとと、もう「立ち上がれなく」なるということだ。乗り越えられる不幸であれば、前向きな姿勢で生きていける。しかし、度重なる不幸が身に降りかかれば、人間というものは、もう理性を失い、絶望に打ちひしがれてしまう。私自身の人生も、霊能者が言うように過酷な人生であるとすれば、本当に耐え難いことで、自分の力ではどうすることも出来ないものなのだ。しかし、私自身どこまでこの過酷な運命に抗い続けることができるか、限界まで挑戦していきたいと考えている。たとえ、敗北の道であっても。