孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

堕ちていくことに「ナルシシズム」はない 現実は血反吐を吐いて無念の裡に死んでいく しかし私はまだ何かを成し遂げたいと思う

私は、映画が好きである。そのためか、映画と現実社会の乖離に悩むことが非常に多い。物事を考える時に、「映像」を中心にするので「右脳」の働きが他人よりも活発なのではないだろうかと思う。「右脳」と「左脳」については、そう簡単に説明し切れない部分がある。ただ、直感的に物事を考える人間は、間違いなく「右脳派」であろう。成功するには、「右脳」と「左脳」をバランス良く働かせることである。私自身は、「左脳」も割合と働かすことが出来ると自認している。数学やパズルが好きで、「論理的思考」が得意である。残念がら、私は、社会生活不適応者である。映画やドラマで、主人公が暗い運命に抗いながらも、最後は破滅していくというタイプのものが好きである。そうしたドラマを見ていると、どこか「ナルシシズム」があって、観る者を甘美な「破滅願望」に誘うように思えてならない。「破滅願望」というものは、おそらく誰にもあるものだと思う。しかし、現実の社会は、映画やドラマのように、運命に抗いながら堕落していく姿は、あまりにも無様なものである。人間の不幸などというものは、どこに落とし穴があるか分からない。平凡な日常が急に何かのアクシデントによってつぶされてしまうことが大にしてある。交通事故、病気、人間関係のトラブルなど不幸を挙げれば枚挙に暇がない。私自身もそうしたアクシデントに見舞われて来た人生である。普通の人であれば、冷静におられない状況を私は何とかやり過ごして、今日まで生き抜いてきた。「自分で自分を褒めたい」と誰かが言った言葉があるが、私自身掛けて遣りたいぐらいだ。不幸な境遇に置かれた人間は、たいてい人生を自己放棄してしまう。「過酷過ぎる現実」を直視できずに、逃げてしまう。映画のドラマでは、「過酷な運命」と対峙する主人公の姿が描かれている。現実との乖離を感じてならない。私自身は、悪あがきと言われても、命ぎりぎり「過酷な運命」に抗い続けて、何かを成し遂げたいと思う次第だ。