孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

阿佐ヶ谷アパートメント 「嘘くさい昭和ノスタルジー」を演出  番組中に「ギャル」という昭和の人間も使わない言葉が出てきた 阿佐ヶ谷姉妹の「芸風」にはついて行けない

NHKの月曜日の夜に放送されている「阿佐ヶ谷アパートメント」という番組がある。この番組は、今期になって、レギュラー化されて、帯番組になった。割合と視聴率があるのだろう。しかし、私にはこの番組の何が面白いのか全く分からない。阿佐ヶ谷姉妹が大家で、それぞれの世代が各部屋の住人となってそれぞれの「世代の価値観」の違いを論じあうものである。出演者に、素人のおばさんや芸能界ではまだ無名の若い女が出演しているのだが、取り立てて面白い事を発言する訳でない。また、タブレット純がこの番組の「顔」でもある。タブレット純のどこが面白いのか。既視感のある彼の「芸風」を見ていると、私は腹が立って仕方がない。単刀直入に言うと、タブレット純の「芸風」は、わざとらしいのだ。「女装」をして、ギターで昭和の古い歌を歌う。はっきり言って、斬新でも何でもない。どうも、最近、「おねぇキャラ」を演じれば、そこそこ「知名度」が上がると勘違いした手合いが非常に多い。「おねぇキャラ」を演じることによって、「自分の芸風」を確立することを放棄しているのではないだろうか。昔の芸能界であれば、「おねぇ」に対して風当たりが強かった。しかし最近の世の中の「同性愛者の人権を過剰に擁護する」という風潮に便乗して、「おねぇキャラ」を売りにするお笑い芸人が異常なまでに増加した。阿佐ヶ谷姉妹の姉と妹は非常に似ている。しかし、良く見れば、全然違い、判別も可能である。ただ、「同じような髪型」「同じような眼鏡」をかけさせているだけ。阿佐ヶ谷姉妹の芸風は、令和の時代にあって、「昭和ノスタルジー」を全面的に押し出し、「時代錯誤」を逆手にとって、人を笑わせるというものである。しかし、東京の芸人でこのような芸風で活動している者は昔から数多く存在した。ただ、彼らが面白くなく、売れなかっただけではないだろうか。阿佐ヶ谷姉妹の場合は、演劇をかじったことが功を奏し、「キャラ立ち」した結果の事だけである。「阿佐ヶ谷アパートメント」という番組の「嘘くさい昭和ノスタルジー」を見ていると、しらけてしまう。阿佐ヶ谷姉妹が、「ギャル」という言葉を使っていたのには、ドン引きしてしまった。阿佐ヶ谷姉妹の芸風自体どうも私にはついて行けない。