孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

本当に悪い人間は周囲から好かれていて 絶対「ツッコミどころがない」あるいは「非の打ち所がない」ように見える しかし私にはその人間の「本性」が分かってしまう 

「人は見かけによらない」と言うが、まさにその通りだと思う。どうも、最近は、外見だけで人を判断する風潮がますます強くなってきているように感じてならない。私の知っている人間に周囲から好かれている人がいる。しかし、私は、この人が嫌いで仕方がないのである。この人のわざとらしさが私には鼻について仕方がない。完璧と言って良いぐらいに、周囲の人間から悪く言われないように、「計算し尽くされた部分」があるるように私には思えてならない。この人は、おばさんなのであるが、さり気なく「自分の子供たちの自慢を話しの中に入れている」のである。堂々と「我が子の自慢をする人間」は絶対に嫌われる。しかし、婉曲的に「我が子の自慢」を話しの中に入れれば、誰も気づかない。私は、そうしたこのおばさんの「あざとさ」が不快で仕方がないのである。こういう人は、裏と表の顔を持っているが、全然周囲の人間に気付かれることがない。一方、「誰からも嫌われている」「変人・奇人と思われている」「場違いな言動をして、煙たがられている人」は、案外に良い人間であったりすることが多い。私自身は、こういう人にシンパシーを感じてならない。世間の人は、「真実」を視る目が曇っている。何故そのような社会になったのだろうか。テレビでもSNSでもおおかた人間の意見は一致する。twitterなんか見ていても、どれもこれも同じ意見ばかりで、「自分の頭で考え」「自分の言葉で発信したもの」は全く散見されない。まだ5ちゃんねるの方が、互いに「自分の考え」をぶつけ合っている感じがする。5ちゃんねるは、「便所の落書き」と呼ばれ、私も嫌いである。しかし、twitterよりも「より深く物事の本質に迫ろうという意気込み」があるように思えてならない。ただ、不快な文章だけど。私は、ひねくれ者であるが、「人間を視る目」だけは誰にも負けない自信がある。「人の悪口ばかり言って」と忠告されることがある。しかし、私は絶対に「こころのきれいな人間」「純粋な人間」の悪口を言ったことがない。許せないのは、「善良な振りをした偽善者」だ。悲しいかな、誰からも好かれる偽善者がその「腹黒さ」を周囲に気づかれないのが人間社会のリアルである。