孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「男ってホント馬鹿」はもう死語 盗撮や痴漢をする男は例外 逆に「女ってホント馬鹿」の時代になった 一体どうしてだろうか?

「男ってホント馬鹿」という言葉が良く使われた。色々な場面において使われるが、主に「美人に目が奪われて、周りが見えなくなった時」などがその最たるものであろう。しかし、こういう「純真爛漫な女好きの男」が、今では皆無になった。様々な原因が想定できるが、やはり「男を虜にするぐらいの美人」がいなくなったからだと私は考えている。「目の冷めるような美人」など現実には存在しない。女優せめてグラビアアイド程度の「ルックス」の女もほぼ皆無。女のために、身持ちを崩すぐらいの「破滅的な愛」などもはや幻想でしかない。「イマドキの男」は、いたって冷静である。「モテる男」は、ゲーム感覚でしか「不倫」をしない。広末涼子の「不倫」を擁護した人たちは、あまりにも鈍感で何も分かっていない。一方、「非モテ」「恋愛弱者男性」は、「恋愛市場」から早くも撤退している。彼らは、「自分が、世の中のすべての女から相手にされない」事を熟知している。「恋愛資本主義」は、「モテる男」と「モテない男」の二極化を生み出した。「モテない男」の中には、「自分磨き」をしようとして、「自己投資」する男が少なからずいる。「服装のセンス」「髪型」「女へのコミュニケーションの取り方」など「女にモテるための悪あがき」をするのである。しかし、その努力は、報われることは絶対ない。「イマドキの男」は、冷静に「自己を客観視する能力」が備わっているのである。それに引き換え「イマドキ女子」は、どうか。まったく、「己の領分」をわきまえていない。目に余るのは、「自分の容姿」を勘違いしている馬鹿女があまりにも多いことだ。「ブス」のくせに、「自分をイケている」と思い違いしている女が多すぎる。「鏡をじっくりと見なさい」と私は言いたくなる。結論から言えば、「女の自立」と「女のわがまま」をはき違えているのである。こうした風潮を加速させた元凶が、フェミニズムである。フェミニズムもある時代までは、それなりに「まともな思想」であった。市川房枝さんらが活動の中心を担っている頃までは。男が、「控えめ」になり過ぎた反動として、女が増長している面も大きい。「男ってホント馬鹿」は死語となり、「女ってホント馬鹿」の時代は、薄っぺらいし、「男女の恋愛」に深みがないと私は考えている。