孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

「山田洋次監督」の映画「おとうと」の原作になった 山谷のホスピス「きぼうの家」の創始者 妻は「男と一緒に失踪」 夫は失意の底に 「山田洋次監督」の映画はいかに「欺瞞」であるか!

 山谷のホスピス「きぼうの家」の創始者である山本雅基、美恵夫妻は、一時期世間から大注目された。NHK「プロフェッショナル仕事の流儀」にも山本雅基、美恵夫妻が出演するなど一躍時の人となった。そして、山田洋次監督の映画「おとうと」で笑福亭鶴瓶が最後に暮らす「ホスピス」のモデルにもなった。山田洋次監督は、この「きぼうの家」に相当魅力を感じたらしく、徹底的に山本雅基、美恵夫妻に取材している。しかし、現在山本雅基は、「きぼうの家」を退職して、生活保護を受給するに至った。その原因は、妻の山本美恵が、「男と一緒に、失踪した」からだ。山本雅基は、そのショックから、自暴自棄になって、アルコールに溺れたという。そもそも私は、この2人の生き方に疑問を感じていた。世間が、美化するような実態とは、かけ離れたものではないかと思えて仕方がなかった。「山谷」で住む人たちの救世主で、「聖人君子」のようにメディアが持ち上げることに「嘘くさい」ものを感じてならなかった。それなりの「問題意識」を持って、「ホスピス」を創ったのだろうが、「福祉」とは、すべてがきれいごとでは済まされないのが「現実の在り様」ではないだろうか。「きぼうの家」の本を読むと、「山谷の住人がお互いに助け合って、人生の終焉を迎える」ことしか書かれていない。山谷で人生の終焉を迎える人たちには、様々な「人生模様」があることは間違いないだろう。しかし、すべての住人を「純真無垢」「善良な人」と描くことに私は疑問を感じてならないのだ。醜悪な人間の姿をも直視して、「山谷」の実態を描くべきである。何もかも「人間の美しい有様」というように塗固して、真実の姿を隠蔽するのは、いかがなものか。そもそも、山田洋次監督の映画そのものが、「欺瞞」と「嘘」で満ち溢れている。「男はつらいよ」シリーズにしても、「共同体」に適用できない寅さんを「受容している」ように見せかけながら、その実寅さんを「スケープゴート」にした「残酷な喜劇もの」でしかない。私が山田洋次監督の作品で許せないのは、「学校」という映画だ。「社会的弱者」を「自分の映画のツール」として利用し、本当に「社会的弱者」に対する「やさしいまなざし」が欠けている。質が悪いのは、山田洋次監督とその「ファン」もそうした「巧妙な差別」に加担していることに気付いていないことだ。