孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

みうらじゅん 「最後の講義」を見て思ったこと 「あざとさ」があり その話を真剣に聞いている若者は 本当の「サブカル」を理解していないし 一流の人間には絶対になれない

NHKで、「最後の講義」という番組の再放送を見た。柄本明みうらじゅん宮本亜門、保坂正康といった著名人が、若者に向けて、「自らの人生哲学」を語るものである。その中で、みうらじゅんの「最後の講義」が一番人気があるので何回も再放送している。みうらじゅんが、60歳の還暦を迎えて、「赤いちゃんちゃんこ」をおかしな着方で講義する時点で、彼一流の「あざとさ」を感じて、私は、予定調和を感じた。みうらじゅんと言えば、「マイブーム」「ゆるキャラ」などの言葉を生み出した、「サブカル界」の大物である。壇蜜を世間の誰よりも発掘したと豪語しているが、壇蜜のどこが魅力なのかは、はなはだ疑問である。みうらじゅんの「最後の講義」の要諦は、「自分のポジショニング」をどのように「世間」に対して印象付けるかに尽きる。みうらじゅんは、「自分の幼少期」は、「他人よりもずば抜けた所がない、ごく普通の子供」であったと語り、そういう自分をいかにして「キャラ立ちするか」を考えたことを語った。本当のサブカルに通じた人間は、そういう「野暮な事」は絶対にしない。「サブカルに通じた天才」は、生まれついてある種「社会の常識や規範」を逸脱した変人である。絶対に「マジョリティー」として生きられないで、「アナーキー」な存在でもある。みうらじゅん場合は、「確信犯的」に「自分が変な人」を演じているのであって、「巧妙な打算」が見え隠れする。みうらじゅんが凝っている「仏像」にしても、世間には、おそらく「信じられない仏像マニア」が存在するだろう。ただテレビが、そうした「マニア」の存在に気付いていないだけのではないだろうか。最近、本物の「マニア」「オタク」が少なくなってきた。私も「映画マニア」なのだが、中学生の頃から「デイティール」に固執して、周囲からその「マニアックぶり」に感心と尊敬のまなざしで見られた記憶がある。ただ、大人になれば、「変な人」としか受け止められないのであるが。「みうらじゅん」の「最後の講義」を真剣に聞いている若い人たちは、本当の「サブカル」を理解していない。また、今流行の「リスキニング」の意味で、みうらじゅんの話を聞いている者は、絶対に「一流の人間」にはなれないと私は思う。