孤独死予備軍ひきこもり日記

ひきこもりが、日々の雑感を綴ります。

秋吉久美子 元祖「プッツン女優」「ロリータ―」というイメージは演技 本当は「頭の良い才媛」 存在自体が「女優」 今テレビの出ている女は「女優」と呼べないただの「素人」に過ぎない

秋吉久美子 調書」という本を読んだ。映画評論家の樋口尚文氏が、秋吉久美子にインタビューする方式を取ったものであるが、非常に中身の充実したものである。秋吉久美子と言えば、元祖「プッツン」「ロリータ」というイメージが定着している。1970年代に藤田敏八監督の「妹」「バージンブルース」などの「青春映画」に出演して、一躍有名女優になった。これらの映画は、1970年代の青春を象徴するもので多くの若者の支持を得た。専ら「しらけ世代」の空気感を体現していて、「アンニュイ」な感じが映画の画面から伝わってくる傑作である。藤田敏八という映画監督を知らない人が大半であると思う。「パキさん」というあだ名で呼ばれて、多くの映画人と役者さんに愛された。「日活映画」出身で、東京大学卒である。藤田敏八監督は、デビューしたばかりの秋吉久美子の魅力を引き出して、素晴らしい「女優」の一歩を踏み出させた。映画監督は、「どれだけ、その役者が本来持っている魅力を最大限に引き出す」かに手腕が問われている。秋吉久美子は、おかしな発言をしたり、「プッツン女優」という「イメージ」が世間に認知されている。しかし、それは偽りの姿でしかない。秋吉久美子は、業と「そうした変な女」を演じているのである。「ロリータ」と「美しい裸体」とのギャップに男たちは、秋吉久美子の虜になった。しかし、秋吉久美子は、年齢と共に「大人の女」を演じる女優へと変身していく。これは、「さすがだなぁ」と感心する。今女優もどきは、自己のイメージを刷新できず、中途半端な演技しかしない。「プロの女優」として失格である。秋吉久美子は、「文才」があるうえに、非常に頭が良い。進学校に通っていた高校時代は、文芸部に所属していた。高校生の時に書いた秋吉久美子の「小説」は、「セミプロ」レベルの水準である。50歳の時に出演した「透光の樹」では、萩原健一こと「ショーケン」にいちゃもんを付けられる。しかし、秋吉久美子は、いたって「冷静」。さすが大女優の貫禄。萩原健一は、この映画のプロデューサーを恐喝して逮捕される。芸能界で、秋吉久美子のように存在自体が、「女優」と呼べる天才が皆無になった。演技力ないにも関わらず、「思い違い」「勘違い」をした「素人に毛が生えた程度の人間ばかり」。自分のことを惜しみなく、「私は、女優よ。」と豪語する資格など全くない、「恥」を知れと言いたい。