藤田ニコルが結婚した。相手は、稲葉友という。「一体、誰なのかと」と言いたくなるほどの知名度である。明らかに稲葉友より藤田ニコルの方が、「超売れっ子のタレント」でお金も稼いでいる。どうやら最近の芸能界の結婚事情を見ていると、女優やタレントが、「自分より無名の素人あるいは自分よりも売れていない芸能人」と結婚するパターンが多いようだ。女子アナは、相変わらず「スポーツ選手」や「IT系企業の社長」を好む傾向が強い。いづれにしても、結婚相手に求めているのは、「顔がイケメンであるか否か」だけではないだろうか。昔の女優やアナウンサーは、全く違った。何故、こんな「不細工な男」と結婚したのかという「超大物カップル」があまりにも多かった。一例を挙げれば、アグネスチャン、松坂慶子、風吹ジュン、高橋恵子など昭和30年前後に生まれた女優やタレントたちである。アグネスチャンには、子供がいるが、弟は、アグネスチャンに似て「端正な顔立ち」をしている。一方、兄は、アグネスチャンの夫に似て「不細工」である。少しかわいそうであるが。私は、1981年生まれの「ポスト団塊ジュニア世代」である。この世代の母親たちは、恋愛や結婚において、「男の顔など、どうでも良い」というような傾向が極めて強い。「お見合い結婚」が極端に減少して、「社内恋愛」が主になり始めた世代でもある。結局のところ、団塊の世代の男というのは、あらゆる面において「得をしている」のは紛れもない事実だ。団塊の世代の男が、仕事に情熱を傾けた原因のひとつに「お金を稼いで、地位や名声を得れば、美人と遊べる」という「報酬のようなもの」が実際にあったからではないだろうか。見城徹という「団塊の世代の男」で「幻冬舎の社長であった」男がいる。見城徹は、「自分の顔が最大のコンプレックス」といつも言う。しかし、見城徹は、仕事に情熱を傾けて、「業界内で確固たる地位」を築いた。その「原動力」は、「自らの顔が不細工というコンプレックス」であると私は考えている。最近の男は、「イマドキ女子は顔でしか男を選ばない」という現実を突きつけられて、恋愛や結婚から逃避してしまう。何と、理不尽で残酷なことなのだろうか。